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過去にはてなダイヤリーで連載してた連載コラムのアーカイヴです。

お父さん世代限定企画「ロックで子育ては可能か?」

紫陽花の庭

紫陽花の庭

 映画『リンダリンダリンダ』の中で、クライマックスの学園祭の当日、時間になってもなかなか現れない主人公達の率いるバンドを待つ時間稼ぎのために、すくっとステージに立ち上がって「風来坊」をアカペラ歌唱した美少女の存在が、映画の中で威光を放っていた。彼女の名前は湯川潮音。先日、NHKの『トップランナー』にも出演していた注目の新人だが、アカペラシンガーという立ち位置と言い、はっぴいえんど「風来坊」という選曲といい、なんと親父好きのする渋い趣味なのか。そう感心していたら、なんと父親はミュージシャンで、子供ばんどにいた湯川トーベン氏のご令嬢であった。しかも、プロデューサーは鈴木惣一郎氏。「風来坊」の選曲なんてモロじゃんかと、ちょっと幻想が崩れたりして。とはいえ、ミュージシャンの血というのは抗えない。また鈴木惣一郎氏を育ての父とするならば、女の子の才能を導くという意味で、育ての父の存在はけっして小さくないだろう。
 以前、別エントリーで高島忠夫一家の音楽の血統についてちょろっと書いたが、単純に“親の七光り”に止まらない、血筋を感じさせる親子関係というのは、実はけっこうあったりする。以前、週刊誌の記事でざっと洗ってみただけでもこんなにあった。

和田唱トライセラトップス)→平野レミ和田誠
降谷建志Dragon Ash)→古谷一行
ジェシー・マクファーデン(RIZE)→Char
金子ノブアキRIZE)→ジョニー吉永+金子マリ
・Kazutomo & Cutt(元Shame)→桂枝雀
・Yae→加藤登紀子
・尾藤桃子→尾藤イサオ
・マンディ満ちる→秋吉敏子
田辺晋太郎(Changin' My Life)→九重佑三子+田辺靖雄
辺見鑑孝(Changin' My Life)→辺見マリ西郷輝彦
土岐麻子(元シンバルス)→土岐英史
中川翔子中川勝彦
小山田圭吾三原さと志和田弘とマヒナスターズ
 世間ではこれらの子息デビューを“親の七光り”と片づけてきたが、実際はそうではない。和田唱の場合はデビュー時に出自を隠しており、テレビの番組で平野レミに「息子さんご活躍ですね」と振られると、「いや、それは別人ですから」と実の母であることをひた隠す、花街の母のような発言もあって涙させられた。桂枝雀の息子がパンクバンドを結成するというのも、伝説に聞くインテリの実像、『ドグラマグラ』の枝雀を思えば納得できる話。実際、有名人の親を持つというのは、自身にとってはプレッシャー以外の何者でもないだろう。北野武北野井子坂本龍一坂本美雨の時みたいに、父親がデビューを支援する場合もあるにはあるが、実際は自分の名を騙ってオーディションに受かり、デビューした後でわかったという人も結構多いらしい。きっと知らずに選んだスタッフも、出自を隠しても滲み出てくる、芸術的環境で育った品格のようなものにはきっと気付いたはずだ。
 「血は水よりも濃ゆし」と昔から言われるが、芸能の道を選ばせるのはやはり血筋だ。高島忠夫のジャズ好きの血統は、次男の政伸のジャズ趣味へと受け継がれた。おそらく、高島忠夫の膨大なジャズ・コレクションは、遺産として次男坊にそのまま受け継がれるだろう。しかし、父の趣味をそのまま受け継ぎはしなかった一方の長男の政宏もまた、中学時代は高島親子としてテレビに出ながら、フリクションのおっかけをやってたりして独自の音楽趣味を邁進。銀行で下ろした新築資金を、黙ってハモンド・オルガン購入に使ってしまったクレイジーな忠夫の遺伝子は、むしろ政宏のほうに正しく受け継がれているのではと思ったりする。
 ごく普通の家庭で育った私には、芸術に理解ある両親に育てられたという話はとても眩しい。小西康陽氏が中学時代、ロックに目覚めたばかりのころにはすでに、応接間の両親のレコード棚にビートルズのアルバムが全部あったというエピソードも、ジェラシー感じるぐらいにうらやましい。まるでアメリカのニューファミリーみたいだ。40歳を超えてもラブラブな夫婦が、日曜だけベビーシッターに子供を預けて、恋人時代の思い出のストーンズのコンサートにデートに出かけちゃうみたいな話を聞くと、辛抱たまらんという感じになる。
 実は私、この「親の教養」という普遍のテーマに迫るべく、週刊誌時代に「ロック親父の教育論」という特集をやったことがあるのだ。10年以上前だが、当時“父権の失墜”が言われており、厳格だった戦前の家父長制度が音を立てて崩れ、家の中でも存在がないがしろにされていた父親の光景を見て、はたと考えたのだ。「日本の明日を救うのはロックだ」と。ロバート・レッドフォード監督の『リバー・ランド・スルー・イット』は、フライフィッシングを通して超えられなかった亡き父を超えていく成長物語だったし、『フィールド・オブ・ドリームズ』では、父が果たせなかった野球の夢を、無関心だった息子が叶えてあげるストーリーである。そんなふうに、趣味であり教養であるロックが、父と息子の関係をより強固にするのではないか。今井美樹に音楽を教えてくれた電気屋を営む父も、娘が学校で友達に語って聞かせるほどの自慢のお父さんだったという。まあきっと、親戚縁者が集まる場所では、「おたくの旦那さんも、まだロックだジャズだとうつつを抜かして」と後ろ指さされていただろうが、息子、娘がわかってくれればいい。そんな尊敬される自慢の親父になることが、日本の明日を救うのだ。
 で、実際に取材してみたら、結構いましたよロック親父。ジョージ・ハリスンに心酔し、息子に「譲二」と付ける父親とか。あと、夫婦揃ってロック好きで、コンサートで産気づいて生まれたという「ロック胎教」で生を授かったカップルも。「お金はない自分だけど……」と、形見としてRCA時代の帯付きのボウイのLPとか、名盤を残してやりたいと語る同世代の親父の姿に、私は涙を禁じ得なかった。ギターもやっていたそのお父さん。中学時代ぐらいでオマセになって、なかなか口も聞いてくれなくなった息子から、ある日突然「ギター教えてくれないか、父さん」と言われる日がきっとくるのではと、自慢のストラトキャスターの掃除に余念がなかった。
 ビートルズがきっかけで知り合ったカップルは、子供が生まれるとすぐに、情操教育の一環としてロックを聴かせていたという。ビートルズの赤盤をかけると、ビデオで見たメンバーの踊りを真似してみせるという、我が子の勘のよさにホレボレ。父直伝のロック講座をしてあげたりすると、それを熱心に聞いていたんだそう。しかし、親戚からは白い目で見られて奥さんもいつしか「もうビートルズは聞かせないで」とおかんむり。その後、子供はどうなったかというと、『アンパンマン』のアニソンに夢中な普通な小学生になってしまったという。トホホ。子供には子供の世界があり、ビートルズなんておませな音楽を聴いてると仲間はずれにされちゃうらしい。残酷なまでのセクト主義の横行する子供の世界で、いつしか処世術から、子供らしくビートルズよりアニソンを聞くようになり、ロック子育ての記憶は失われていったという話。現実ってツライものなのね。
 で、その話を友人のライターにしたら、「それって、ロックだからダメなんじゃないの」と一蹴されてしまった。例えばテレビゲームなら、子供主体の世界である上に、我々オリジナルのファミコン世代の存在も主張できる。そういえば『機動戦士ガンダム』のゲームが復刻された時、「父さんの腕前、スゴイや!」という描写が出てくるCMが実際にあったな。でも、私はこれを認めない。子供文化にすり寄っちゃダメなの。最初はいくらゲームが強くても、子供の成長というのも恐ろしく早い。学校でも語りぐさになる「自慢のゲームの強い親父」だったのに、ゲームに負ける時は必ず来る。その時、逆に父親を見限っちゃったりする、残酷な現実があるんじゃないのと。だから、ワケのわからんロックみたいなものだから、親父の威厳が保てるわけよ。「ロックって何、父さん?」と聞かれ、「ロックの本質がわかるまでは、まだまだお前も大人にならなきゃな」と息子を煙に巻いたりできるのがロックなのだ(支離滅裂)。
 必ず訪れる反抗期、『積み木くずし』で親を罵倒する息子が、あたかも反抗のシンボルとしてセックス・ピストルズを子供部屋で轟音でかけた時、実は親父のほうがパンクに詳しかったりするという(笑)。その逆転が息子の威厳などガタガタにし、「負けたよ父さん」とシャッポを脱がせる。だからこそ、ロック親父、パンク親父は、父権の失墜から日本を救うのだ。
 それはまあ、面白半分でやった企画なのだが、現実はというと、小柳ゆきなどの新しい才能のシンガーも、黒人のようなフェイク歌唱を身につけた理由が、普通に同級生とカラオケに通い詰めた結果だと言うし。大リーグで活躍するイチローも、相手はチチローではなく、黙々とバッティングセンターに通って正確な打法を身につけたというから、すでに父の存在などすっかり形無しだったのだ。
 さて、父親と息子の話ばかりだと、すっかり色気もなくなってしまったので、「ロック教養」を巡る男女の話にも触れておこう。日頃の社会人生活で、悲しいかなロックの知識が身を助くことなどまずはない。ただ、たまーに編集部に来る女の子で70年代ロック好きがいて、私の知識を語って聞かせるのを目をランランと輝かせて聞いてくれたりすると、「俺もまんざらすてたもんじゃないな」とちょっと安堵したりする。同僚のジェラシーの視線も感じる瞬間。やっぱロックの神髄はモテだからして……。
 以前、表参道の伝説のレコード店「パイド・パイパー・ハウス」で盤を物色していて、買い物を終えて店から出た私に、「キミ、趣味よさそうね」ときれいな代理店風の女性が声をかけてきたことがある。そういう時、普段はただのヲタでしかない自分がちょっと誇らしく思えたりする。実は自分、ロックとか聞き始めたのは、10代の時に好きだった5歳年上のお姉さんの影響なのだ。そのお姉さんに気に入ってもらいたい不純な動機で、レンタルレコードで名盤を勉強したりする中で、なんとなく自分のロック趣味が築かれていったのだ。これって、80年代初頭の冴えない地方の高校生の典型だったりする。だから、「ロック好きの女の子」の存在というのは、冴えないヲタなコレクター男子にとって、希望ともいえる存在に映るものなのだ。
 しかし、趣味が合う女の子とくっつくのが、果たして幸せかとうかはケース・バイ・ケースである。以前、私の同棲時代の話。2人はともにムーンライダーズのファンで、それがきっかけで知り合ったのだが、新作『ドント・トラスト・オーヴァー30』をどっちが買うかを延々と議論したことがあった。いわく「いっしょに住んでるんだから、アルバムは一枚あればいい」。で、どちらも自分が買うと譲らなかったので、結局こっちが折れて、彼女が買うことになったのだ。ところが、大事なレコードだからと聞かせてくれない。それでこっちも困って、こっそりもう1枚買ったら、「約束が違う」「金のムダじゃない」とさんざん怒られて、それが同棲解消する理由にまでなってしまった。
 たまーに見事な趣味の一致を見る女の子と出会うことがある。そんなときは「神の思し召し」だと、運命に抗ってもいいので関係を築きたいと思うのが男の道理であろう。しかし、私ぐらいにひねた性格になると、あまりの趣味のよさを認めると、逆に警戒心を感じてしまうことがある。だいたい、趣味のよい女の子のコレクションって、趣味のよい彼氏の受け売りだったりするから。実際、好きだった女の子の彼氏にたまたま遭遇することがあり、またこいつが趣味のイイヤツで、結局友達になったりする、優柔不断な私(笑)。男勝りの知識を誇る音楽好きの女の子というのが、フリッパーズ・ギターを始めとする「渋谷系ブーム」以降はずいぶん増えたと言われている。けれど、どこか女性はやっぱり、男のような分析的な聴き方はしないものではないかという、経験から感じた思いに、寂しさを感じていたりする。
 芸能人でも、音楽趣味のいい渡辺満里奈深津絵里といった存在というのは、それぐらいしか取り柄がない音楽ヲタ少年にとって救いであり、希望である。しかし、ぶっちゃけ言えばそれってアレじゃん(自粛)と、その理由を認めてしまう悲しさがある。以前、渡辺満里奈氏にはインタビューで会ったことがあるのだが、取材後の世間話の時に、共通の友人だった某ライターから、取材の時にマイセレクションテープを贈られたといっていたし(そんな話、本人から聞いたこともなかったが……笑)。私の友人のデザイナーの常盤響氏もまた、アイドル誌『Suger』編集部時代、憧れの原田知世に取材で合った時に、レコードをプレゼントしたとかって言ってたっけな。まあ、男が思いつくことは、いつの時代もいっしょなのだ。
 しかし……以前週刊誌でやった「女の子の本音」という別の特集で、「一番もらって嬉しくないプレゼントは?」というアンケートの質問の第一位が「凝った編集のマイテープ」だっていうんで、ガックリきちまった。おまけに「凝ってあれば凝ってあるほどマイナス」とか書いてあるし。どうせ選曲してくれるなら、既製品のベストみたくヒット曲だけを集めて、FMの普通の番組みたいに、中庸に作ってあればあるほどいいんだって。もー。