POP2*5

過去にはてなダイヤリーで連載してた連載コラムのアーカイヴです。

Perfumeの話はどこへいった? (冬休み補修ヴァージョン)その続き

 前回、「Cubase」という代表的なPC用シーケンサーの存在を取り上げ、これがライター業を営む私の音楽理解のための一助となっていること、そうした音楽環境の激変や楽曲そのもの(スコア)についてジャーナリストがあまりに無関心すぎるということ、「Cubase」らPC用シーケンサーDSPネイティヴに進化した時代の象徴として、中田ヤスタカという新しいクリエイターが颯爽と登場したという私的な印象について書いてみた。いつもの長ったらしい文章で読者には申し訳ないが、これらは独立した話ではなく、コラムの文章そのもののように微妙に入り組んだ形で、現在の音楽周辺文化全体を形作っている。
 「Cubase」のような新しい音楽ツールの登場が、作業効率の向上や利便性をもたらすだけではなく、作り手の芸術性にまでフィードバックを与えるというテーマは、昔から私好みのものである。YMOが結成されたばかりのころ、名プレーヤーとして名をはせていた3人があえて自らのテクニック(肉体性)を封じ、すべてをMC-8というコンピュータに演奏させるという「機械との対話」を通して、まだプレーヤーの企業秘密だった“グルーヴ”を、数値などで理論的に理解しようとした態度は、音楽表現の新しい地平に立とうという強い意志を感じさせるものだ。実際、コンピュータで演奏された音は、人間がなんちゃってロボット風に演奏してみたもの以上に、正確ゆえに「機械的」に聞こえる。こうしたコンピュータを使って音楽を作るプロセスは、人間の耳の認識速度をも変えてしまうことがあると坂本龍一氏も答えているほど(『イエロー・マジック・オーケストラ』)。日々のトレーニングによって耳の筋肉や大脳皮質が変わっていくことを、教授は「動態聴力」の進化と呼んでいた。
 これまでも「音楽の構造」をめぐる話にもっとも関心を寄せてきた私だが、そうした話題は驚くほどに、「テクノポップ」に関する研究書で触れられてこなかった。前回の『ロッキング・オン』編集者とスコアの関連話以上に(ロキノン関係者の方、言い過ぎてすみませぬ……)、自称YMO系ライターという人々の「鈍感さ」には目を覆いたくなる。テクノポップという「機械の音楽好き」を自任している音楽ジャーナリストの、楽器、制作環境への興味なさぶりは無責任を通り越して異常とも思える。高価だった楽器やMTRがPC上で安価でヴァーチャルに再現できる今の時代だから、そういう意味で若い音楽ジャーナリストには、積極的に「Cubase」などのツールを音楽理解に役立てて欲しいと思う。たいして考古学的な視座も持てずに、ジャケ違い集めに奔走し一喜一憂している先輩ライターなんか、ハッキリとバカにしてもいいと思うよ、私は。
 音楽にさほど興味のない読者もいるだろうから、少し別の話題についても書いてみる。新しいツールの登場が、新世代のクリエイターの芸術意識に大きな影響を及ぼすというニュアンスは、音楽のジャンルに限らない。例えば、今ではデザイナーにとって必須となったDTPソフトで説明してみよう。デザイナーが組み立てた鉛筆書きの割り付けを、実際のデザインそのままにディスプレイ上に再現するもので、同一ソフト上でシームレスに、最終工程の組み版や製版まで行えるようになっている。この登場によって、それまでの活字を拾って組み立てる活版プロセスも不要となり、職人が手掛けていた製版技術などもデザイナーの意のままになった。主にコスト的な部分で出版業界はこの発明に多大な恩恵を受けることとなったが、当のデザイナーにとってもっとも大きな飛躍となったのは、その即応性だ。従来はカラー・パターンを参考に脳内で組み立て、一度入稿してから色刷りを確認しなければわからなったような、配色テストの工程のムダがなくなったこと。だいたい印刷所に預けて引き上げるのに所要期間が中一日ぐらいかかっていたものが、DTPソフトだと画面上で瞬時にわかってしまうのである。DTPの作業工程において、その試行錯誤にたっぷりの時間がかけられるようになったことの意味は大きい。これによって私は、平均的なデザイナーの質的向上に大きなメリットがもたらされたのではと思っている。
 私自身、今年に入ってからある目的があって、マンガ作成ソフトとして有名な「Comic Studio」というソフトとペンタブレットのセットを購入し、ブログのヘッダの部分のイラストなどをそれで書いている。昔、CM学校受講生時代に絵コンテをさんざん描いてきたとは言え、全部自分でやる快感に突き動かされてやっているオナニー的行為に過ぎないのだが、このツールが人間工学的によくできていて、感心させられるところが多い。多分に秘密主義的で代替のきかないマエストロな職業と思われがちなマンガ家の作画作業も、座標軸上での、罫線とヴァーチャル定規、スクリーン・トーン(模様)の掛け合わせに因数分解して理解すると、それぞれのオーソドックスなテクニックの集積体に過ぎないことが理論的によくわかる。もともと大して絵がうまいほうではないが、手書きで描いていたころに比べれば、過去40年間と「Comic Studio」導入後の今年1年では、見違えるほどマシなものになっている。最初はタブレットが使い慣れなくて、正しい○を描くこともできなかったが、今ではもうタブレットなしでは絵など描けないと思うほど。
 先日、デザイナーに依頼されて、「お前の字は変体少女文字みたいだから」と妙な褒め方をされて、CD一枚分の曲の歌詞を全部タブレットで写経するという作業をした。その作業後、タブレットを使い始めて半年ぐらいは感じなかった、ペンが指に吸い付くような感触を初めて感じることがあったのだ。以前私は「絵を描くという行為と、文章を書くという行為は同根で、すべて観察力にある」「デッザン力とは、とどのつまり空間認識力である」などと偉そうに書いていたが、このペンと指の一体感というのは、私の理性とは別のところにある。このところ、恥ずかしげもなくPerfumeのメンバーの似な絵をアップしていたが、ここ数日は突然、自分でも驚くぐらいペンが思ったとおりの軌跡を描いてくれる感じがする。ま、実際それは、Perfumeを好きになる以前と以降の思い入れの違いでしかないのかも知れないが……(笑)。
 「Comic Studio」はとてもいいソフトだとつくづく思う。マンガをほとんど読まない私なんかより、読者としての蓄積がありながら絵心がないと謙遜している方が「Comic Studio」を一度使ってみたら、新しい表現の地平が見えてくるかも知れないよ。私は「Cubase」や「Ableton Live」の登場で、DJ、編集者から多くの音楽クリエイターが実際に登場してきたように、「Comic Studio」の普及の後に、ポスト青木雄二的なクリエイターが突然変異的に表れたり、夏目房ノ介ばりの分析力を持つ次世代のマンガ評論家などが出てくるのではと、とても期待している。

(……ここまででプロットの半分。長すぎるので後は次回に。この続きは、恐ろしいほどに怒りまくります!)





「Comic Studio」で描いてみたPerfume似な絵。同一ディスプレイ上で写真を見て描けるので便利(でもトレースじゃないよ)。原画はなんか外人みたい。基本的に私が描く絵のデフォルトはハリウッド俳優系なので、骨格に特徴がない日本人を描くのは実はけっこう難しい。

Perfumeブームの示すもの。「歌謡テクノ」の進化の先は?(冬休み補修ヴァージョン)

Cubase 4

Cubase 4

 注文してあったシークエンサー・ソフト「Cubase4」のアップグレード・ヴァージョンが、私の手続き上の勘違いミスのために未だに届かず。がっかりしながらも、抑えきれない衝動があって、旧ヴァージョンの「CubaseSX3」を現行ノートPCに入れて、無理矢理動かしている。デュアルCPUに対応していないために、画面もプラグインの動作もガクガクだが、それでも2Gもあるから旧式のデスクトップより遙かに軽い。相変わらずのPerfumeマイブームにDTM熱を焚きつけられた格好なのだが、実際に「ファンデーション」、「ポリリズム」などの音色やコード、ベースラインを解析してみると、この10年の打ち込みポップスの進化のポイントがおぼろげだが見えてくる。生まれて初めてハウスみたいなキック四つ打ちでシークエンスを組んでみたけど、なんか精神的に解放されるものがあるな(笑)。その光景だけとれば「いまさらオヤジバンドでも組むつもりか?」とつっこまれそうだが、そうではない。
 かつて、慶応大学で美術史を専攻していた学生だった、音楽は独学の冨田勲は「なぜ音楽家になったのか?」と聞かれたとき、「音楽家になりたかったんじゃなくて、“音楽の秘密”を知りたくて音楽家になった」と答えていた。戦後すぐに進駐軍放送で、ストラヴィンスキー春の祭典」を初めて聞いたときの衝撃が、彼にアメリカから譜面を取り寄せさせるほどの情熱を掻き立て、作曲家・冨田勲を誕生させるきっかけとなったという有名なエピソードである。私は音楽家ではないが、音楽雑文ライターの中では比較的珍しい楽器、スコア好きだ。恥ずかしくて人には聞かせられないが、それなりに作曲・編曲経験もある。曲を聴けば、鍵盤やフレットの配置から、そのメロディーが手癖で書かれたものかそうでないかぐらいは大体わかる。そして、こうした「Cubase」のような音楽ツールと戯れることが、しばしば私に音楽ノンフィクションを書かせるときの一助となってきたところがあるのだ。
 友人の津田大介氏、ばるぼら氏ら、私より下の世代と付き合うのはなによりの刺激になっているが、こと音楽の話題になると3人とも生粋の音楽好きであるから、その話題は10年後のシーンを予測するような、いきおいSFチックなものになる。いや、iTSの「DRM廃止」やビットレート向上、「YouTube」「ニコニコ動画」などのアングラな動きがプロモーションツールとして機能してしまう現在の風景こそが、私には「SF的体験」そのものだ。そんな日々の中で、私の音楽的好奇心を満たしてくれるのは、すでに雑誌や単行本ではなく、むしろネット・ニュースや掲示板だったりすることに、「編集者」の私は少し寂しい思いに駆られることがある。
 先日、Perfume関連記事を調べていたときに、私より少し上の世代である田中宗一郎氏、野田努氏という、『スヌーザー』と『remix』という信頼にたる2大雑誌の編集長による「年末対談企画」を某誌で読んだ。メイン記事である「今年の音楽シーン総括」については、きちんとそれらを聴いてきていない私には語る資格はない。「Perfume的なるもの」については、2人はPerfume自体の是非論ではなく「それをありがたがる風潮」そのものを断罪していた(これはお約束なんでしょうね)。つい1ヶ月前まで私もそういう偏見に満ちていたから、とても人のことは責められない。「だいたい『QJ』やALL ABOUTなんかが毎回いやらしく青田買いするから、こっちは聞かず嫌いになるんだよ」とか「『QJ』はだいたい朗読少女蛍が一押しだったんじゃないのかよ(←いつの話だ)」とか文句言って、2人に論調を併せてみたりして……(笑)。しかし、その信頼にたる2大音楽ライターのスペシャルな対談であっても、あれだけ言葉を駆使したところで、音楽シーンの現在を正確に語れていないという印象を強く持ってしまった。今春、アークティック・モンキーズの大ブレイクに関連して、本業で音楽流通について調べ物をすることがあり、レコード産業に於けるメジャーとインディーの線引きについて、大きな地殻変動が起こっているのを実感することがあった。東芝EMIの大リストラや東芝資本の撤退、HMVのジャパン・ブランチのセルアウトなども、時代背景としてこれに大きく関わっている。「Perfumeブーム」どころか、断罪すべき音楽業界の問題は山積み。いまどき、こうした音楽シーンを支える構造についての理解がなければ、いくら音楽愛やジャンルについての知識があっても、音楽を語れないどころか、音楽を語っちゃいけないんじゃないかと思ったほどだ。2人は著名人だから、対談企画は気が進まぬまま「おつとめ」でやったというところだろうけど、筆力で今のポストを築いてきた2人の頂上対談が、いまどき、抽象論のみで音楽シーンを総括しようという光景には、いらだちを感じるところがあったのは事実である。
 そもそも、「ロックを聴いて衝撃を受けた>思わずギターを手にした」のではなく、「ロックを聴いて衝撃を受けた>ロッキング・オンの編集者になった」みたいな音楽ファンを、どっか信用していないところが私にはある。なぜ、音楽にそこまで影響を受けた人が、楽器を弾きたい衝動に駆られないのかは、正直未だに疑問。たとえロッキング・オンの編集者になって、ミュージシャンと酒飲み友達になっても、やはり「音楽」が2人を結びつけているものである限り、楽器やスコアに興味がない人には所詮ミュージシャンと編集者の関係は超えられないんじゃないかと思う(友達になることが目的ならば問題ないけど)。一見、オタマジャクシや音楽制作環境についてミクロに考えることは、社会、経済などのマクロ的視点とは正反対にあるように見えるかもしれない。だが、プロ・トゥールズ環境の利便性が、日本に於けるスタジオの存在意義や原盤所有の問題の大きな揺さぶりとなっていることぐらいは、DTMをやってみればイヤというほど感じさせるし。ACIDAbleton Liveなどのフレーズ・シークエンサーの登場には、パンク以来の音楽制作手法として衝撃を受けたが、この“魔のツール”には、これまであった「音楽の商品性」やレコード会社を取り巻く経済活動と相容れない部分も含まれていることについて、考えさせられるところがある。結局、楽器やオタマジャクシについて思いをはせることが、そのまま社会、経済について考える契機になるという話。その一方で、スコアや音楽環境をうんぬんせずに、できた作品を聴いて「言葉で音楽を語れる」などと信じている音楽ライターの抽象的な言葉が、むなしく鳴り響いていることの無効性というか……(私はその一点に於いて、音楽ライターである自分の立場はいつも謙虚でいたいと考えている。だから、どんなおろかでハレンチであっても、私はミュージシャンという「音楽を作る人々」への尊敬は揺るがない)。
 話は変わるが、下北沢の著名なライヴハウス、ZOO〜スリッツの時代を綴った『ライフ・アット・スリッツ』は、私は出る前から楽しみにしていた本だった。しかし、読み終わった私のこの本への評価は少し厳しい。この本には主体となる書き手や物語がなく、全編インタビュー構成が取られている。これでは、昔怪しげな放送作家が即席で作っただけの自称ノンフィクション『Jラップ以前』とかいう本と同じ轍を踏んでるだけだと思う。確かに、ノンフィクションを書いていると、しばしば行き詰まることが多い。相反する「事実の証言」をいくつか聞き出した時に、裏取りなどができない状況の中で、どれが正しいかの見極められないことは頻繁にある。しかし、「ノンフィクションを書く態度」というのは、そこから自分のストーリーを選び取ることだ。多視点は肝心だが、どれがその幹となるものなのかを、読者に放り出してちゃしょうがない。それを放棄していることが、この本の価値を半分にしていると私には思える。ノンフィクションを書く労力は、しょうもないテープ起こしの苦労レヴェルも含めて、本当に辛い。だからこそ、反面教師たる『Jラップ以前』みたいな、「コメントが発せられた時代背景は、各自で調べて欲しい」なんてバカ本の真似をして欲しくなかった気分がある。
 前書きにある通り、往事のスリッツの狂騒を知っている人からすれば、映画『24アワー・パーティー・ピープル』で描かれた「ファクトリーの物語」を自分に重ね合わせたくなる衝動もわかる。しかし、ファクトリーは「音楽を作る場」であり、「経済活動の場」だった。DJ的視点を発見することで、音楽の聴き方が大きく変わったという意味で、私はあの時代のクラブ文化の多大な恩恵を受けていると自任しているが、「当時、私がこれこれのレコードをかけた」「私が一番それをかけたのが早かった」という証言は、音楽を作る行為に比べてあまりに軽く響く。ZOO〜スリッツがあった下北沢というエリアは、関西ロックシーンの東京上陸の拠点となった場所で、日本のロック文化を語るには欠かせないLOFTの歴史とも大きく関わっている。下北沢の音楽史は調べていけば結構シンプルだと思うし、比較的文献も残っているから、彼らの証言に音楽的な価値を持たせるためには、下北という街との対比で、スリッツについて語ることが重要ではなかったのか? あるいは、下北沢の不動産史をこの本できちんと物差しに据えていないことが、ただの音楽マニア向けの読み物にしているところがある。それが、この本を要約したとき「もう、あんな時代は二度と来ない」というノスタルジーだけで完結してしまうような、虚しさを感じさせる原因になっている。いまさら当時を体験できない、'80年代に猛烈に憧れる若いサブカル世代への贈り物としては、これではあまりに酷だ。
 活字音楽ジャーナリズムへの失望は、日々大きくなるばかり。先日のミュージック・マガジン社批判のようなエントリは、そういう気分から発せられたところがある。あれをアップしてから数日経つけれど、ひょっとしてあるかもと思っていた編集部、あるいは当事者からのクレームは来ていない。所詮、一介の音楽ライターのブログの戯れ言だと片付けられたということなのかな。標的にされている人は編集部にとって大事な音楽ライターだろうし、音楽ライターにとっては自分を採用してくれた編集部が非難されているってことなんだろうに、パートナーの名誉を守ろうという理性すら動かないということには少々呆れる。だがその一方で、著名人を含む多くの読者からメールをいただき、その問題意識は多くの音楽ファンが共有していたものだったことを知って、私は少し安堵した。実際、好きだった雑誌だから「もっとよくなって欲しい」という思いから、勇気振り絞って猫に鈴を付けに行ったってところがあるから。しかし、フリッパーズ・ギターをやったら売れたからって、好きでもないのにその手の特集を頻繁に取り上げ、編集後記で「あくまで自分のスタンスは」だのといいわけしている高橋修の煮え切らない文章にはうんざりするな。この「まず最初にいいわけから」というスタンス、誰かに似てるんだよね(笑)。
 話を音楽制作環境の現状に戻そう。MIDIによるシーケンスがPC上でできるようになり、その後オーディオ処理がPC内で完結できるようなシステムが生まれてから、すでに何フェイズかが経っている。拙著『電子音楽 in JAPAN』の最終章を書いていた2001年ごろというのは、ちょうどPCによるテープレス・レコーディングが一般化しつつあるころだった。プロ・トゥールスで使われているような、アプリ動作のみメインCPUが司り、音声録音やプラグイン処理を別の専用CPU(PCIボード)が負担するという方式を「DSP」と呼ぶが、現在はネイティヴ型で知られている「Cubase」も、併行してプロ・スタジオ用として「DSP」方式が出るなんてアナウンスがまだされていたころである(その後、メインCPUの処理能力向上が追い越して、「DSP」処理型のDTMソフトは過去の遺物となった)。まだ「a-DAT」(VHSテープを使うマルチトラックレコーダー)が稼働しているスタジオも多くあったし、現在のようなシステムを受け入れる以前の過渡期のことだったと思う。それは「アナデジ人間」だった私にとっても同じ。ポピュラー電子音楽のパイオニア矢野誠氏の取材で聞いた、早い段階で「電子音楽の制作プロセスは、ある種の倦怠に行き着くことに気づいた」という証言は、機械と人間の格闘という電子音楽史に於いて重要な発言だと思ったし、「一人で音楽を作れる」という理想が、ややもするとクリエイターのエゴに陥るのでは? という警告をYMOの最終章にむりやり盛り込んでいたりするのも、暗にそれに対する私の受け入れがたさのメッセージだったりする。『電子音楽 in JAPAN』がタイトルとは裏腹に、沢木耕太郎的なメランコリックな読み物になっているのは、記録者である私の性分なのだろう。
 実際は2001年の増補版刊行時に、90年代以降に登場するテクノ世代までをフィーチャーするという計画もあった。しかし、彼らポストテクノ世代が音楽を作ることの動機について、正直図りかねていた私は、それにはもう少し時間が必要だという結論に達し、結局、演奏家出身で早くにコンピュータに理解を示していた3人、安西史孝氏、松浦雅也氏、戸田誠司氏らが登場する80年代中盤までで、『電子音楽 in JAPAN』の歴史を閉じている。「90年代以降の歴史は、私には書けない」という印象は、刊行後もずっと変わらなかったし、それを支えている技術的なスペックは16ビット→24ビット→32ビットと未だに進化の途上にあるものの、サンプラー登場以降、(一部グラニュラー・シンセシスなどの例外を除き)概念としての新しいテクノロジーは生まれていないと思う。おそらく、この後のストーリーとして、テイ・トウワ氏や電気グルーヴ石野卓球氏、砂原良徳氏ら、テクノ、ハウス、ラウンジ以降のミュージシャンの章を作るとしたら、ハードウエアの進化史だけでは解決できないところが多く、もう少し「心の問題」に踏み込まねばならないだろう。
 だが、Perfumeの音楽プロデューサーでありcapsuleというグループを率いるクリエイター、中田ヤスタカ氏のサウンドに感じた圧倒的な印象は、続きのストーリーを書きたいと思わせるほど、十分なインパクトを持つものだった。先日、capsuleだけでなく、彼がプロデュースや曲提供している近作をどっとまとめて買ってきて聴いてみたのだが、この物量はハンパじゃない。また、Perfumeのエントリで、わかりやすい特徴として挙げられる「Auto-Tuneベタがけみたいな、ヴォーカルの過度なモディファイ」について、従来ヴォーカルの個性を重んじてきた日本ではありえないと私は書いたが、実はこれってPerfumeに限らず、中田プロデュース全作品でも行使されているんだよね(笑)。この「迷いがない感じ」に、私はクラクラする。おそらく物心ついたときから、環境は全部ソフトシンセで内部完結してたという世代だからこそ、「心の問題」をすっとばして、音楽を組み立てる構造についても、新しい地平に立てるのではという幻想を抱かせる。打ち込み音楽界に於いて「ポスト小西康陽的」な存在として君臨していることからも、かつて小西康陽的センスを持つ新世代としてメディアに登場したばかりの、まだ21、22歳と若かったフリッパーズ・ギターの存在とダブって見えるところがある。フリッパーズとの関連で言えば、とにかくオシャレでイケメンということだけで、恐れおののくに十分な要素だと思う。そんな御仁が、MIDIのパラメータをすべて知り尽くしたようなテクニックを駆使して自らプログラミングを行い、あるいはファミコン世代らしく、PSG音源のように音階、リズム、音色が同一プログラム上で組まれてモーフィングしていくような、曲とサウンドの一体感を生み出していることにワクワクするのだ。


(……と、ここまでで予定していたプロットの半分までしか書けずに時間オーバー。続きは帰郷してから書くことにします)

「初音ミク」(合成人声ソフト)のルーツを訪ねて

VOCALOID2 HATSUNE MIKU

VOCALOID2 HATSUNE MIKU

 最近、「ニコニコ動画」にハマっている。一昨年秋ごろ、「YouTube」を初めて知ったとき以来の衝撃だ。各自がアップした映像を軽量なFLVファイルに自動変換して、こそこそファイル交換するんじゃなく、公開して皆で観れるようにした初めてのサービスが「YouTube」。そのアイデアを絶賛し、週刊誌の記事で「世界でいま一番観られているテレビ」と紹介したほど、「YouTube」を完成されたコミュニケーション・システムと評価していた私だが、まだまだ次があったとは! ひろゆき氏というか、この技術の土台を考えたプログラマーはすごいね。さすが2ちゃんねるを考えた人たちらしいというか、実況掲示板みたく、映像に時間経過に合わせてレスを付けられるなんて、思いついたヤツは本当に偉いと思う。なにが人の気持ちを駆り立てるのか、コミュニケーションの本質をわかってるんだろう。まったく分野外の私なのに、これにはジェラシーを感じてしまった。
 アニメソングに合わせてCGキャラが踊る「アイドル・マスター」という、ゲームの場面を編集した映像もいっぱい上がっていて、どれもクオリティが高くて驚いた。私はてっきり、そういうコレオグラフィー作成ソフトがあるんだと思っていたらそうではなく、これってゲームのただの一場面で、それをさまざまなカットアップやテンポ編集で組み合わせたものが、「ニコニコ動画」にアップされている自家製PVだと聞いて、二度ビックリ。アマチュアの執念を見る思いだ。「Google Video」や「YouTube」でも、未来の映像作家の卵を集めようとさまざまな趣向を凝らしてはいるが、参加者のクリエイティヴィティという意味では、「ニコニコ動画」のほうがずっと先を行っているかもしれない(非合法問題はこの際置いといて)。で、この「ニコニコ動画」を見ていた時、私は「初音ミク」というキャラクターが今人気だということを初めて知ったのだ。よく、仕事で調べ物をしている時などに、テクノラティの検索ワードランキングの上位にこの名前が上がっていたけれど、私はてっきり『AV無理』の初音みのりのパチモンのAV女優かなんかのことだと勝手に思ってたのだ(笑)。その正体がこのCGキャラクターというか、PCソフトだったんだな。
 「初音ミク」をご存じない方に説明しておくと、テキストを入力してメロディーを指定すると、あらかじめインプットされた人間の発声フォルマントに基づき合成人声が歌を歌う、プラグインというかシーケンスソフトのこと。最初見たとき「ヤマハVOCALOIDみたいだなあ」と思ったら、やはりヤマハの技術のサブライセンスを受けた商品であった。「VOCALOID」の技術は、ヤマハXGという音源モジュール用のプラグインボード「PLG100-SG」として10年ぐらい前に商品化されているし、それをソフトウエアでエミュレートした「VOCALOID」のプロトタイプも、やはり5年以上前から『DTMマガジン』などの雑誌付録のCD-ROMにしょっちゅう付いていた。私はマカーなので、Windowsオンリーの「VOCALOID」は、まったくノーマークだったのだが……。メーカーとしてヤマハが「VOCALOID」のソフト版を出すという知らせは結局聞かずじまいで、すでに5年以上が経っていたけれど、実はこっそりサブライセンス化して他社から商品が出ていたんだな。「初音ミク」の発売元であるクリプトン・フューチャー・メディアは、これも有名な海外製の合成人声ソフト「CANTOR」をディストリビューションしているメーカーだから、理には叶ってる。けれど、パッケージ版「初音ミク」が大ヒットして品薄なんていう今の状況は、クリプトンのほうも予想だにしなかったのではなかろうか。マイナーな合成人声ソフトが一般的に売れるわけないと見越して、たぶんヤマハは自社で商品化しなかったんだろうし。あるいは、ジョン・チョウニング博士のFM音源の発明を独占してDX-7を売るために、95年までFM音源の独占販売権を取り博士にライセンス料を払い続けていたヤマハだから(それでシンクラヴィアはFM音源撤退を余儀なくされた)、商品を売るよりも、技術のライセンス商売のほうがおいしいことに気づいたのかも。
 ところで、合成人声のテクノロジーは、けっして新しいものじゃない。その大本となる、アナログ音声をデジタル符号として記録、伝送するPCM(パルス・コード・モジュレーション)の技術は、パーソナル・コンピュータの黎明期である50年代から、NASAペンタゴンから依頼を受けて、ニューヨークのベル研究所で開発が進められていた。衛星放送の遠隔通信や、アポロ計画の打ち上げ機との交信のため、距離に乗じて通信ロスが増えたり干渉波によるノイズが起こるアナログ通信に代わって、デジタル符号化してエンコード/デコードするデジタル通信が、時代の花形として登場した歴史がある。54年に、最初に完成したシンセサイザーRCAミュージック・シンセサイザー」も同じ原理を用いており、パンチカードにデジタル符号化したデータを、コンバータでアナログ音声に変換してスピーカー再生するメカニズムだった(65年に初めて商品化される、モーグシンセサイザーの“倍音減算合成”はまったく別物)。この実験の最初のころに、すでに有名なオペラ歌手、シャリピアンの独唱を音声合成して披露したという記録もある。日本でも70年の大阪万博で、合成人声のアトラクションが人気を呼んでいたのを、拙者と同世代の方なら覚えているだろう。
 ちなみに、ロボ声と聞いて連想する、YMOの「TOKIO!」でおなじみヴォコーダーは、まったく原理は別物。これは元々、ホーマー・ダドリーという技術者が第二次大戦時に、敵軍に通信内容を傍受できないようにする秘密通信のために、声をフィルターで符号化してエンコード/デコードする装置として考えられたもの。イギリスのEMSがこの技術を応用して、コーラス・マシンとして楽器販売したことから、ドイツのゼンハイサーなどが追随して広まったもの。リアルタイムでしゃべった音声を、切り刻んでわざと劣化してロボ声にしたものである。喋った声を加工するこっちを、縫いぐるみを着て人間が演じるSF映画と例えるなら、合成人声ソフトのほうは、プログラミングでまったくのゼロのキャンバスに、ベジエで軌道を描いてポリゴンやテクスチャー動かすCG的と言えばいいのかな?
 ダサダサのFM音源を採用していたMS-DOSマシンと違って、最初からPCM音源を搭載していたマッキントッシュでは、ハイパーカードなどのソフト上でテキストを入力して人声に喋らせるための基幹アプリとして、「MacinTalk」というソフトが標準装備されていた。そのフォルマントを利用して、メロディーと歌詞を入力して歌わせる「Vocal Writer」という、SYSTEM7時代からあるかなり古いシーケンス・ソフトもある。クラフトワークテレックスが演出に使っていたコンピュータ・ヴォイスも、正体は同じようなものだろう。その後、CPUの演算能力が向上し、合成人声もよりナチュラルなものに進化。テイ・トウワ氏が『Last Century Modern』で使った、マルチリンガルな発声プログラム「CHATR」(チャッター)のように、あらかじめ任意に数百のキーワードを読み上げて記録しておき、テキストを入力するとまるで本人の癖そのままに文章を読み上げる、ワークステーション用のソフトも登場した。「CHATR」はマルチリンガル対応がウリで、テイ・トウワ氏は韓国語のモノローグを入れていたが、その後ペ・ヨンジュンの映画かなにかで、ヨン様の声を解析した合成人声が日本語で喋る副音声が入っているDVDがあったと思うので、それも「CHATR」が使われてたんじゃないのかな。砂原良徳氏の使っている合成人声も、おそらくコモドール社の専用機だったはず。その後のパーソナル・コンピュータの高性能化に併せて、「Vocal Writer」の次世代ソフトとして、マック&ウィンドウズ用に「CANTOR」という秀作プログラムが発売。「CUBE」など凄いソフト・シンセばかり出しているVirSynだが、「CANTOR」も最初から完成されており、男性、女性などのフォルマント・データを後からプラグインとして提供するスタイルを取っていた。いうなれば、「初音ミク」にとって外国に住むお兄さん、お姉さんみたいなものだ。
 マック用として唯一の合成人声シーケンサーだった「Vocal Writer」は、たぶんコーネリアスFantasma』などで使われているのもこれだと思われる、今でも現役のソフトだが、英語圏の開発ソフトだったため、実は日本語で歌わせるのが困難だった。英語は、あいうえお=「a」「i」「u」「e」「o」と、日本語のように子音母音の音節が分かれているわけではないので、ローマ字や、似たような配列文を書いても、日本語みたいな滑舌で発音させるのがかなり難しかったのだ。これはおそらく、ドイツ産の「CANTOR」でも同じなのではないか? 「初音ミク」は国産ソフトで、フォルマント生成の段階から日本語環境で作られたものだから、そういう意味ではこれも第三世代ソフトとして、重要な位置を占めるものと言えるかもしれない。
 本来はアニメ声で歌を歌わせるソフトなのだが、自由に文章を喋らせられるということで、「ニコニコ動画」には「初音ミク」にエッチな小説を朗読させたものなんてのもあったりする。本田透氏じゃないけれど、自分宛のラブレターかなんかを書いて「初音ミク」にしゃべらせている同輩もいるんじゃないの(笑)。こういうヲタパワーを誘発している商品と言えば、88年にPCエンジン用に出た、アイドルの小川範子主演ソフト『No・Ri・Ko』というのもあった。ゲーム開始時に自分の名前を登録しておくと、ゴールインする時に小川範子が登場し、自分の名前を呼んでくれるというたわいもないもの。当時務めていた会社にこれが置いてあって、みんな勝手に「オ●コ」「チン●」とか入力して、小川範子にイケナイ言葉を言わせていたのを覚えている(早稲田の近くにある会社だったので、本人が聞いてないか冷や冷やもんだったが……)。ところが、同じようなことを考えるヤツは全国に100人はくだらなかったようで、以降に登場した同様のソフトではあらかじめ登録NGワードが辞書として組み込まれ(おそらく事務所サイドの意向なのだろう)、「ウ●コ」とかダーティ・ワードが入力できなくなっていて、敵の然る者と思ったのだが(笑)。けれど、小川範子にしたところで、当時の技術で無理矢理商品化した『No・Ri・Ko』では、せいぜいサンプリングした50音を組み合わせて鳴らしているだけ。とても小川範子がしゃべってると思えないロボ声だったので、色っぽさもなにもあったもんじゃなかったが。
 実際に触ったわけじゃないけれど、そういう意味では「初音ミク」の完成度は相当なもの。トーンの揺れやブレスなど、色っぽさもちゃんとプログラムされている。任天堂ばりの「枯れた技術の水平思考」で、こういう声フェチにはたまらない“人工人間”を作ってしまったわけだから、改めてヲタパワーの偉大さに敬服する。「芳賀ゆい」や「DK-96(伊達杏子)」みたいに(←わかる人だけついてきてちょ)、本当にヴァーチャル・アイドル声優なんてのがデビューしてもおかしくない時代なんじゃないだろうか。一説によると「初音ミク」の声紋データも、藤田咲という実在の若手声優の声のフォルマントを合成して作られたものだそうで、この第1弾ヒットを受けて、今後もアニメ声優シリーズは続いていくらしい。「高島雅羅ヴァージョン」なんてのが出たら、マカーの私でも買うだろうな……(笑)。だが、サンプラーが世の中に登場してすぐのころ、英国の演奏家協会が「我々の職域を奪うツールである」として、発売中止のクレームを付けた歴史もあるように、いくら技術が進んでも、声優組合の反対にあって現実には無理だろうけど。少なくとも、敬愛する羽佐間道夫先生のヴァージョンは出ないはず。
 ただ、一つ思うことはある。人間の声というのも、歳を取ればおのずと変わっていくもの。若いころの自分のヌードを撮っておく女性の話じゃないけれど、どうせ歳を取ってから開き直ってヌードになるんなら、若い頃に写真を撮っておけばよかったのにと、昔好きだった妙齢のアイドルや女優のセクシーグラビアを見て思うことがある。昨年、私の好きな声優の武藤礼子氏が亡くなられたけれど、もう少し早くこうした技術が普及していれば、武藤礼子のセクシー・ヴォイスを未来永劫に保存できたかもしれないのに。「放送禁止用語を処理するため」という、それだけの理由で、味気ない新人声優に声を吹き替え直させたリニューアル版『ふしぎなメルモ』を見ていると、もしヴァーチャル武藤礼子が実現していたら、それにやらせたら100倍いいものに仕上がったのではないかと、あらぬ想像をしてため息をつくばかりだ。


 では、最後に「初音ミク」のルーツとも言うべき、合成人声を記録したレコードと、ウチの古いマックに鎮座ましましている、関連ソフトを紹介しておこう。もし興味を持ってもらえたら、このへんの歴史を『電子音楽 in JAPAN』、レコードを『電子音楽 in the (lost)world』というディスクガイド本で紹介しているので、ぜひ読んでみてちょ。


 

こちらは、ヤマハが関係者に配布していた初代「VOCALOID」のデモディスク。5年以上前から『DTMマガジン』が毎号サンプルを紹介していた、開発〜完成まで長い歴史があるのだ。ちなみに「初音ミク」は、次世代にあたる「VOCALOID2」の商品化第1号ということらしい。

こちらは一足先に商品化されていた、ドイツのメーカーVirSynの「CANTOR」。同じようにスコア上に歌詞とメロディーを打ち込んで、ソロやコーラスを発声させるしくみ。VirSynは、倍音加算合成によるモーフィング・サンプラーCUBE」など、すごい商品ばかりを出しているメーカーなのだが、マシンパワーを食うので、民生機のマックではとても追いつかない。このへんに、ソフト・シンセではウィンドウズ勢に太刀打ちできない弱みがある。

さらにさかのぼって、おそらくもっとも古い合成人声歌唱ソフト「Vocal Writer」。マックオンリーで、現在でもOSX版がダウンロードで入手できる。旧マック時代から音声もそのままでクラシカルな味わい。しかもかなり軽い。あえてロー・ビットなロボ声が欲しい向きにはオススメ。

初音ミク」が「枯れた技術の水平思考」なら、その一歩先を行くのがこのソフト。「Melodyne」はシーケンサーというより、グラニュラー・シンセシスの原理を利用したマルチトラック・レコーダーで、取り込んだ音声データを、あとから粘土みたいにグニャグニャ変形できるもの。ソロ・ヴォーカルを複数のトラックにコピペして、山下達郎ばりのアカペラが簡単に作れる。最新ヴァージョンは、録音時にピッチ情報を勝手に検出してくれるので、録音したデータのピッチを、なんとMIDI鍵盤で変更できる。男声を女声や子供の声に変えるなどのフォルマント変形も見事で、いわゆるハーモナイザー(「ドリフの早口言葉」で使ってるやつ)やテープ早回し声のような不自然さがないのに驚嘆。

ここからは、「初音ミク」のルーツをたどるレコード編。アナログ音声のデジタル符号化は、アポロ計画の時代からニューヨークのベル研究所(電話の発明者アレクサンダー・グラハム・ベルが創立したAT&Tの技術開発部門)で研究されていたもの。アイゼンハワー大統領の初の衛星中継演説などがレコードとして残っているが、これも同所が関係者に配布していた非売品レコードのひとつ「Computer Speech」。57年に、大型コンピュータIBM704のために作られた「ミュージックI」という最初のプログラムのデモレコードで、シェークスピアハムレット」などを朗読させている。

これも同所が制作したブックレット+10インチ・レコードのBOX『Music From Mathematics』。コンピュータ音楽のルーツである「イリヤック組曲」やジョン・ケージの易の音楽(チャンス・オペレーション)用の自動作曲作品など、コンピュータ音楽の歴史を綴ったもの。ここでも合成人声が挨拶し、歴史を紹介している。

IBMコンピュータを使って人声を合成する「ミュージック」シリーズのプログラムは、「PCMの父」と言われる、ベル研究所行動学研究センターのマックス・マシューズ博士の発明。本作『Music From Mathematics』はその最新技術を紹介しているレコードで、デッカからリリースされた。この中に「Bicycle Built For Two」という当時の流行歌を合成人声が歌うトラックがあるのだが、これが映画『2001年宇宙の旅』でHALが暴走した時に歌う、「デイジー〜♪」の歌のヒントになったと言われている。

これもマシューズ博士のプログラム「ミュージックV」を使用した曲を集めたアルバム『Voice Of The Computer』。同所は数多くの気鋭作曲家を集めたワークショップを行っており、その中にいたのが、ケージが「アメリカ現代音楽の一匹狼」と一目置くジェームズ・テニー。YMO「来るべきもの」に先駆ける無限上昇音「For Ann(Rising)」で知られている作家だが、そのプロトタイプとも言うべき音によるエッシャーのだまし絵「Shepard's Tones」などを収録している。

コンセプト主義の現代音楽の世界でも、当時のトレンドだった合成人声の新技術を取り入れた作品が数多く残されている。人声を素材に作品をたくさん発表しているチャールズ・ドッジもその一人。声の変調やカットアップなどのさまざまな手法が取り入れられた傾向の中で、本作は特にコンピュータ・ヴォイスを主体とした作品を集めたもの。「Speech」というIBM360用のプログラムが使われている。

これは、コンピュータ・ヴォイス作品を数多く発表しているポール・ランスキーの『ALPHABET BOOK』。声を素材に美しい和声で聞かせるランスキー作品は、どれもニューエイジ愛好家から評価が高い。本作はA〜Zのアルファベットを題材にした連作で、コリン・ニューマンのソロアルバムみたい。

次は日本製の作品を紹介。バラエティ番組などに登場しては、「美空ひばり宇多田ヒカルの声には1/fゆらぎの成分がある」などとトンデモ発言で沸かせている日本音響研究所鈴木松美博士が、自らの研究発表として出したレコード『過去との遭遇』。実はこの人、ベル研究所でその技術を学んだという元警察研究所の音声鑑定の第一人者。このレコードはコンピュータによる合成人声の技術を応用し、残されている絵や骨格写真を元に、織田信長豊臣秀吉リンカーンなどの声を復元したというもの。マンモスの鳴き声とかも入っててやりすぎ感はあるが、芳村真理の写真から合成した声というのも入っていて、確かに似ているのに驚く。

うる星やつら』の劇音楽で知られる、元クロスウインドの安西史孝氏が在籍していた幻のグループ、TPOが出したシングル「HOSHIMARUアッ!」。85年の筑波万博のために作られた公式ソングで、キャラクターがしゃべる宇宙語をヒントにした星丸語を、パーソナル・コンピュータのはしり「アップルII」の合成人声カードに歌わせている。星丸語を考案したのは、先日逝去された阿久悠氏。つくば世代にはぜひ、「初音ミク」に歌わせた阿久悠追悼トリビュート・ヴァージョンを作っていただきたい。

『電子音楽 in the (lost)world』再び!(作者自身によるプロモーション)

電子音楽 In The(Lost)World

電子音楽 In The(Lost)World

 表題は拙者の近刊で、2005年に刊行された300ページ・オールカラーによる、シンセサイザーなど電子楽器、電子装置を使ったあらゆるレコードを網羅したディスクガイド。なぜいまさらその話を取り上げるかというと、刊行から約2年になるのだが、これがさっぱり売れてないのである。日本最古の現役映画評論家、双葉十三郎氏を気取って全原稿一人で執筆に挑戦したり、掲載ジャケット点数も1600作品という、紹介枚数はギネス級に匹敵するディスクガイドに仕上がっていると思うのだが、まあコンテンツが肉厚でもジャンルがニッチだからなあ……。やっぱ「クラフトワークディーヴォも出てこない電子音楽本」という、天の邪鬼なコンセプトが逆に徒になったのか(笑)。実は版元のアスペクトの倉庫にも在庫が残っていて、販売の方々からもブーブー言われており、このままでは断裁→絶版の憂き目にあうやもしれず。これが最後のチャンスとばかりに、ブログの来客の皆様に再度、恥をかなぐり捨てて著者自身がプロモーションすることにした。どうか、お付き合いくだされ。
 前著『電子音楽 in JAPAN』でも付録としてディスクガイドページを設けているが、読んだ友人から「神谷重徳の『ムー』と久世光彦のドラマ『ムー』のサントラを並べたのはギャグのつもりだろう。くだらない」と鋭い指摘を受けたことがある。が、慧眼である。私はこういう、しょーもない仕掛けが大好きなのだ。『電子音楽 in the (lost)world』もそういう著者が書いた本であるからして、盤のセレクトもかなり普通じゃないというか、ツウが唸る感じに微妙なサジ加減がなされている。シンセサイザー落語や講談のレコードを漏らさず取り上げたり、にっかつロマンポルノの女優、寺島まゆみの官能ポエムのレコード『ま・ゆ・み』(シンセは深町純)などをクソマジメに取り上げている電子音楽本というのは、この作者あってこの本という感じ。刊行当時の『サウンド&レコーディング・マガジン』の書評で、横川理彦氏に「日本のシンセサイザーのディスク紹介だけで100ページもある……」と紹介され、たぶん呆れさせつつも、それは褒め言葉なんだろうと好意的に解釈しているポジティヴ思考の持ち主だ。だが、ユーモアとマジメさというのは私にとって表裏一体。テクノポップ・ファンにわりと冷遇されている喜多郎姫神せんせいしょんなどのベストセラー作品の意義牲を、きちっと取り上げているディスクガイドは珍しいのではないかと思っている。有名すぎて逆に聴いている人は実際は少ないか知れない、喜多郎のデビュー作『天界』のマッドな感じはちょっと凄いよ(細野晴臣『コチンの月』を思わせる感じもあり)。姫神せんせいしょんを取り上げたことについては、後日、リーダーの星吉昭氏の自身のウェブで拙著を取り上げていただいたこともあった。その直後にお亡くなりになられたのが残念である。
 ともあれ、アカデミックな電子音楽と、後のテクノポップの名盤を一冊にドッキングするという、非常にわかりにくいコンセプトの本ゆえ、改めて章ごとに解説を加え、読むときの一助にしていただければと思っている。また、刊行後に奇跡的にCD化が実ったものもあるので、そのへんの情報もフォローしておこう。

1、アーリー・エレクトロニクス

電子音楽 in JAPAN』でも触れているが、1950年代にドイツが敗戦からの再建の願いを込めて、テレビ局にあった検波用のオシレーター(発振器)と、フォン・ブラウンV2ロケットなどとともにナチスが残した有意義な発明のひとつ、テープ・レコーダーを使った新しい芸術として誕生させたのが「電子音楽」。そして、その少し前に、20年代デュシャンらのシュールレアリズム思想を背景に、同じく現実音をアセテートのレコード・カッティング装置やテレコで合成することで、新しい音楽の創造を夢想したのが「ミュージック・コンクレート」。この2つが今日の電子音楽、サンプリング・ミュージックのルーツとされている。だが、現実に電子音による作曲を最初に試みたのは、アメリカの現代音楽のカリスマ、ジョン・ケージが先。彼はフィリップスのオーディオ・チェック用のサイン波が記録された78回転のディスクをスクラッチすることで、世界最初の電子音による作品を世に問うた。そんな無手勝流の電子音楽の歴史が、新大陸アメリカには刻まれている。遡れば19世紀末の、エジソンニコラ・テスラが一騎打ちする、発明狂時代にそのルーツあり。そんな、従来のアカデミックな電子音楽史で扱われてこなかった、さまざまな電子楽器による新しい概念の音楽創造の試みを、ざっくりとまとめてみたのがこの章。イタリアの未来派の記録レコード(後に坂本龍一がオペラ『LIFE』で同音源を引用)から、ルー・リード(ヴェルヴェッド・アンダー・グラウンド)『メタル・マシーン・ミュージック』、ゴドレイ&クレーム『ギズモ・ファンタジア』といった70年代の創作楽器の時代まで、歴史軸に幅を持たせて取り上げている。特筆すべきは、オランダのフィリップス物理研究所の研究員だったトーマス・ディセヴェルトの、全集のCD BOX化であろう(ぎりぎりリリースが間に合ったので、18ページにジャケ写真を掲載)。坂本龍一に通じるフランス近代音楽の流麗なコードワークと、マッドなリズムの混淆。ヤン富田テイ・トウワ砂原良徳らも魅せられた50年代の奇蹟のサウンドを、ぜひお試しいただきたい。テルミンのページで取り上げている、94年のサンダンス映画祭で上映されたドキュメンタリー『テルミン』は、執筆当時は米国版のVHSのみしかなかったが、後に劇場公開されて現在は日本語版のDVDも入手可能。この章はもともと、CD時代になって初めて公開された作品も多いのだが、刊行を前後して『Gullivers Travels』、ビル・ホルト『Dreamies』(未発表の楽章を追加して再発)、ジミー・ハスケル・アンド・ヒズ・オーケストラ『Count Down!』、ディーン・エリオット『Zounds! What Sounds!』、アンドレ・オデール『ジャズはジャズ』(紙ジャケの日本盤CDはアートワークは別ヴァージョン)、『Les Meledictus Sound』などがCD復刻されている。

2、ミュージック・コンクレート

40年代にシュールレリズム芸術の聖地、フランスで産声を上げたのが、自然界に存在するあらゆる音をテープ上で合成して“作曲”を試みる「ミュージック・コンクレート」。ドイツの電子音楽に先駆ける概念ゆえ、同時代にレコード化された作品は決して多くはないが、歴史を振り返る上で、主な作品をレコードとアーカイヴCDからとりあげてみた。1998年にミュージック・コンクレート生誕50周年を記念して数々のコンピ盤もリリースされているが、ピエール・ブーレーズが監督を務める国立の音楽機関IRCAMの作品群でわかるように、現代の末裔のスタイルは電子音とサンプリングが入り交じったもの。今日、エレクトロニカと総称されている作品も、フランス伝統のミュージック・コンクレートのジャンルとして同国では扱われているのに、フランスらしい矜持を感じる。この中では、ピエール・アンリの作品をまとめた4つのCD BOXが入手しやすい。ピエール・シェフェールのカートン入りCD BOXは稀少だったが、ジャケットを改めたジュエル・ケース入りの3枚組としてINA GRMから復刻されている。

3、海外の電子音楽

海外には、すでにアカデミックな分野に限定した電子音楽のディスクガイドは数々存在していたため、本書では50〜60年代の黎明期にスポットを当て、珍しいレコード時代の作品を中心に編んでいる。よって、カールハインツ・シュトックハウゼンジョン・ケージなどのディスコグラフィは、専門書に譲って、アメリ電子音楽の始祖であるオットー・ルーニング&ウラジミール・ウサチェフスキー、ゴードン・ムンマ、モートン・サボトニック、ジョン・アップルトン、ヘンリー・ジェイコブス、ヘンク・バディングスなどの傍流系をきちんと取り上げてみた。コロムビアプリンストン電子音楽センターのみ、作家別ではなく重要キーワードとしてクローズアップ。放送局設備を利用していたヨーロッパや日本と異なり、アメリカの電子音楽研究は主に大学内で行われているものが多く、こうしたアカデミズムの歴史からドロップアウトする形で、後のシンセサイザーの章で取り上げている『スイッチト・オン・バッハ』のウォルター・カーロス、映画『地獄の黙示録』のパトリック・グリースンなどの作家が登場してくる自由度がアメリカにはある。ミルトン・バビット『Ensembles For Synthesizer』、マックス・ニューハウス『Electronics & Percussion』は日本のソニー・クラシカルからCD復刻。J.D.ロブ『Electric Music From Razor Blades To Moog』、ヒュー・ル・ケイン『Pionieer In Electronic Music Design』、ヘンリ・ジェイコブス『Radio Programme』、ドッグ・ステイダー『Omniphony』などが、その後CD化されている。ヘンク・バディングス『ヴァイオリンと二つのためのサウンド・トラックのためのカプリチオ』はペリー&キングスレイを思わせるポップな組曲だが、これもBastaから出ているオランダの電子音楽集『Popular Electronics』というCD BOXでまとめて聴ける。

4、コンピュータ・ミュージック

現代では音楽制作にコンピュータは不可欠なものだが、ポピュラー音楽の世界でコンピュータ(シークエンサー)が使われ始めたのも、YMOのデビュー作あたりの77〜78年からと歴史は浅い。本章で扱っているのは主に現代音楽の世界におけるコンピュータ作曲の作品群で、57年にイリノイ大学の数学者、レヤーレン・ヒラー、レナード・アイザクソンらによる弦楽四重奏曲イリヤック組曲』を嚆矢とする。そこで試みられたのは、ヨーロッパのトレンドだった12音音楽の作曲のための演算装置としてのコンピュータ利用だった。だが、後にプロセッサの高性能化に併せ、コンピュータ自体をオシレータとして用いる、今日のサンプリング(PCM)のルーツ的な発明が、ニューヨークのベル研究所から誕生。この章では、作曲とシークエンスにコンピュータを用いる前者の流れと、コンピュータをオシレータとして用いる後者の2つの流れの両方を扱ってみた。レヤーレン・ヒラーの作品集には、85年のつくば科学万博のために書かれた「Expo '85 For Multiple Synthesizer」なども含まれているが、コンピュータ音楽の始祖として本章には欠かせない人物ゆえ、「エキジビジョン」の章ではなく、便宜的にここに組み込んでいる。私がレーベルから直接購入し、長いお手紙をいただいたりした、ジェームス・テニー『Selected Workd 1961-1969』は、デッドストックCDを日本のタワー・レコードが発掘できたおかげで、今日では入手しやすくなった。YMO「来るべきもの」のルーツとも言える「For Ann (Rising)」の荘厳な無限音階をぜひ堪能あれ。逆に、本書リリース時には初心者にも入手しやすかったイヤニス・クセナキス『Electro-Acoustic Music』は、廃盤のため現在ではウン万円の値段になってるんだとか。ゆえに現代音楽のCDは、タッチ&バイの世界なのだ。

5、海外のサウンドトラック

映画大好きの拙者の本領発揮。サウンドトラック盤蒐集の趣味がこんなところで役に立つとは。ここでは、『モンド・ミュージック』のヤン富田氏の電子音楽講座でも取り上げられている、ルイス&ベベ・バロン『禁断の惑星』に始まるハリウッド〜ヨーロッパの電子音楽スコアの歴史をダイジェストしてみた。その歴史はドイツの電子音楽の正史よりも古く、映画の都フランスでは20世紀初頭の黎明期の電子楽器オンド・マルトーノが、ハリウッドでは産声を上げたばかりだった40年代のSF映画やスリラーのスコアにテルミンが使われ、電子音がファンタジー映画の演出に一役買っていた。ミクラス・ローザ『白い恐怖』など、ここでもヒッチコック作品が重要な位置を占めているが、「アーリー・エレクトロニクス」の章で紹介しているドイツのオスカー・サラも、トラウトニウムの冷たい電子音による『鳥』のサスペンス・スコア(バーナード・ハーマンと連名)で著名な存在だ。フランツ・ワックスマンからヴァンゲリスまで、ページ数の関係で50年の歴史をざっと洗うにとどめておいたのだが、それでも佐藤允彦が映画PR用に作った『メテオ』のシングル、全編の音楽を東海林修シンセサイザー・スコアに差し替えて本邦上映されたジョン・カーペンター監督『ハロウィン』の日本のみのサウンドトラック盤など、当時の映画文化の爛熟ぶりを伝えるちょっとユニークなものは意識的に取り上げた。このうち、バーナード・ハーマン地球が静止する日』、ジョン・サイモンがプロデュースした珍盤『You Are What Tou Eat』(日本のみ紙ジャケ化)、『白昼の幻想』、ウェンディ・カーロス『トロン』、エンニオ・モリコーネ『地獄の貴婦人』(別ジャケット)、キース・エマーソン『ナイトホークス』(海賊版くさいけど)などが後年CD復刻された。特に近年は映画生誕100周年の影響もあって、貴重な映像の復刻が盛んなのは嬉しい限りだが、筆者未見だった『アウター・リミッツ』は全作品がDVD BOX化。自慢の2枚組のサントラ盤を本章で紹介している、カナダの映像作家ノーマン・マクラレンについては、日本のジェネオンから出た3枚組BOXに刺激を受けてか、今年フランスで7枚組のDVD BOXがリリースするに至り、さすがの私もビックラこいた(もちろん入手済み)。『シャイニング』の項で指摘している、映画本編で使われなかった幻のウェンディ・カーロスの未使用スコアにまつわる拙者の推理は当たっていたようで、その後、カーロス自身のレーベルから出た『Rediscovering Lost Scores』という2枚のCDシリーズで残りのトラックは日の目をみた。フランソワ・ド・ルーベに至っては、その後に正式な電子音楽作品集としてVol.1、Vol.2が発売されており、ここでもステファン・ルルージュの監修仕事が光る。ちなみにステファンは、濱田高志氏の友人でもある。

6、エキジビジョン

章タイトルがやや無理矢理っぽいが、日本の電子音楽の発展史において、NHK放送プログラムや万博といった、国家がパトロンを務めたイベントが重要な役割を果たしてきたことから、ここではオリンピック、万国博覧会などの行事もののレコードを集めてみた。実は著作権の扱いの複雑なものが多く、大半が会場内でのみ売られていた非売品レコードで、今日CDで復刻するのが難しい音源が多い。だが、万博研究家でもあるジェネオン森遊机氏の長年の尽力によって、東宝映画『日本万国博』の素材となった膨大な音声アーカイヴがなんとDVD BOX化。当時の万博会場で流されていた電子音楽の片鱗に触れることができるようになった。『電子音楽 in JAPAN』取材中には夢にも思わなかった復刻の実現に、小生は感動を禁じ得ない。ここでも、ごく一部CD復刻されているものもあり、大阪万博武満徹、イアニス・クセナキス『スペース・シアターEXPO'70鉄鋼館の記録』はジャケット改訂でタワー・レコードから再CD化、冨田勲『EXPO'70東芝IHI館』は盤起こしになるが『喫茶ロック エキスポアンドソフトロック編』にその冒頭部分を収録、つくば万博のキャンペーン・ソングだったTPO「HOSHIMARUアッ!」は拙者が選曲したオムニバス『テクノマジック歌謡曲』で初CD化。坂本龍一『TV WAR』は晴れてDVDに、同じく教授が手掛けた住友館「空に会おうよ」はミディから出たCM作品集に収録された。

7、日本のサウンドトラック

拙著『電子音楽 in JAPAN』のストーリーの中核をなしているのが、冨田勲宇野誠一郎といった作曲家らによる、70年代初頭のテレビ、映画界の劇伴に於ける電子装置の実験の数々。ここではそんな映像音楽のサウンドトラックで電子音が旺盛に使われていたケースに着目し、テレビ、映画のサントラ盤を集めてみた。実は資料として、正式な日本の映画音楽を体系的にまとめたものは、下巻が未完のまま著者が逝去してしまった、秋山邦晴『日本の映画音楽史』ぐらいしかないため、拙者の歴史観もあくまで個人的なもので心許ない。このあたりは、ぜひ濱田高志氏による本格的な歴史書の執筆に期待したいところ。ここでは、小学館からのCD全集が無事完結した武満徹の、小林正樹勅使河原宏作品における使用例などをとっかかりに、大野松雄が電子音で日本のSFサウンドの原型を作った『鉄腕アトム』に始まる、冨田勲宇野誠一郎作品を含む虫プロ・アニメの音楽、『仮面ライダー』などの特撮ドラマの時代を飾った、渡辺宙明、菊地俊輔のスリラー・スコア、『西遊記』『水滸伝』などでロック×シンセ・サウンドの融合を試みたゴダイゴの足跡などを駆け足で紹介している。いまだ復刻にはさまざまな障害が伴う、武満と並ぶもう一方の雄、黛敏郎については、東宝ミュージックが原盤を持っている『黛敏郎の世界』がポリスターでCD復刻。ワーナーでCD復刻されて以来、ずっと入手困難だった『鉄腕アトム 音の世界』は、そのダイジェストに東宝映画『惑星大戦争』のサウンドエフェクト音などをコンパイルした形で、拙者がライナーを担当したキングレコードのシリーズ『大野松雄の音響世界』(全3巻)にまとめられた。実はリメイク版の『鉄腕アトム』、『鉄人28号』もひっそりとCD化を果たしているのだが、前者には某大物ロック・バンドのヴォーカルH氏が下積み時代に“アトラス寺西”名義で歌った、貴重なトラックが収録されている(知人のF氏情報)。最初のCD化(ただし編集ヴァージョン)が少部数だったためレア化していた、松武秀樹がプログラミングで参加している『電子戦隊デンジマン』も、ライナーノーツなどは割愛されたがフルサイズでの復刻は先日が初めて。大野雄二&ギャラクシー『キャプテン・フューチャー』のLPは、ヒデ夕木が歌った第一シーズンのシングル音源などと併せて2枚組の豪華CD復刻に。ミッキー吉野グループ『小さなスーパーマン ガンバロン』、佐藤勝『ブルークリスマス』などの音源は、特撮番組、東宝まんがまつりなどのコンピレーションBOXで各々取り上げられ、主題歌以下、本編の音楽も抄録されている。

8、アドヴァタイジング

次章「海外のシンセサイザー音楽」に組み込んでいる放送局ジングル用のライブラリー・ディスク同様、全貌が知らされていないのが、テレビ・コマーシャル音楽の世界。「アーリー・エレクトロニクス」の章で紹介している、レイモンド・スコットのCM音楽を集めた『Manhattan Reserch Inc.』で聴ける音源でわかるように、潤沢な予算で作られ、かつ新しモノ好きのクライアントを魅了していたコマーシャル音楽が、ポピュラー音楽の世界で電子サウンド普及に一役買っていたのは歴史的事実である。BBCラジオフォニック・ワークショップのエントリーで記したように、ビートルズピンク・フロイドがいち早く電子音楽的試みにトライしたルーツにあったのも、子供時代にブラウン管を通して聴いた同スタジオ制作の面白い創作ジングルの数々。レイモンド・スコットも後にビリー・ゴーディに招かれ、モータウンの技術職として77年に逝去するまで働いており、レコード盤では知ることができない電子音楽とロック、ポップスとのミッシングリンクがここにある。わずか1ページと心許ないが、ここではそんなコマーシャル音楽をまとめた、当時の非売品レコードを取り上げてみた。どれもが当時流行だったソフト・ロックサイケデリック電子音楽を融合したスバラシイ音ばかりで、「海外のシンセサイザー音楽」の章で取り上げている商業リリース盤など比較にもならない、完成度の高いこちらのほうが入手困難なのはどうしたものか。このうち、ギミック・サウンドで定評のあったコマンドから出ていたザ・ヘラーズ『Singers...Talkers...Players...Swingers...& Doers』のみ、のわんと先日CD化を果たしている(その話で先日、『教科書には載らないニッポンのインターネットの歴史教科書』の著者、はるぼら氏と盛り上がる)。ザ・ヘラーズについては、その活動母体だったヘラーズ・コーポレーション(ヘラーズ・アド・エージェンシーの表記はまちがい。失敬)の足跡を記録したレコードを2枚入手したので、いつかどこかで紹介できると嬉しく思っている。

9、日本の電子音楽

拙著『電子音楽 in JAPAN』でその誕生〜黎明期の歴史を綴っている、NHK電子音楽スタジオで生み出された、初期の電子音楽作品群。ドイツが敗戦から再建の願いを込めて、未来芸術のひとつだった電子音楽にいち早く取り組んでいたのは知られるところで、同じく太平洋戦争で同盟国(敗戦国)だった日本、イタリアも、世界に先駆けて電子音楽に着手している。だが、ドイツの電子音楽の手法が、各国からの留学生によってイタリア、オランダなどに持ち帰られ、それが正統に継承されたヨーロッパ諸国と異なり、日本では電子音楽の現場を知っているのはせいぜい留学経験のあった諸井誠ぐらいで、エンジニアも作曲家も無手勝流で歴史を紡いできた。よって、大阪万博に向かう60年代末の日本の電子音楽は、世界でも類を見ない独自性を獲得していた。それらの作品は、NHKという放送局で作られる特性上、毎年秋の芸術祭の時期の特番で放送されるだけ(NHKには第一次放送権しかない)なため、後進が耳にする機会はかなり限られていたが、それでも秋山邦晴監修によるビクターの『日本の電子音楽』『日本の電子音楽'69』など、数少ない傑作コンピレーション盤が存在する。NHK電子音楽スタジオの初期のエンジニアだった塩谷宏(冨田勲に、モーグシンセサイザーの結線の手ほどきをした人でもある)が、晩年に大阪芸大で教鞭を執っていたころの教え子らによる、サウンドスリーから発売されている『音の始源を求めて』シリーズ(現在4巻まで、タワーレコード、オメガサウンドなどで取り扱い中)は、その伝統を継承する名企画。こうした、わずかではあるが日本の電子音楽の歴史を記録したディスクを集めたのがこの章。実はNHK電子音楽スタジオで作られた作品は、当時作曲家自らの手で私家版としてレコード化されているものも多いのだが、非売品ゆえ入手困難で本書でもフォローできてはいない。その後、市井の研究者、川崎弘二氏による労作『日本の電子音楽』でかなりの数のプライベート盤をフォローされているので、詳しくはそちらを読まれることをお薦めする。『電子音楽 in JAPAN』執筆時の取材で、NHK電子音楽スタジオの作品リストの現代音楽のお歴々の名前の中に、ジャズ作曲家の三保敬太郎(『11PM』の主題曲で有名)の名前を発見。それを起点に、当時NHKで仕事をしていた冨田勲宇野誠一郎らの電子音楽的試みがあったことを、拙著ではストーリー仕立てで紹介している。実は当時、チャーリー・パーカーが12音音楽的なソロを披露したり、武満徹がジャズの影響を公言するなど、現代音楽と前衛ジャズは近しい位置にあった。そこでこの章では、高橋悠治によるポピュラー作品群や佐藤允彦富樫雅彦フリー・ジャズ系のミュージシャンの作品にまで幅を広げて取り上げてみた。このあたりも近年、CD復刻が盛んな分野であり、小杉武久のソロやタージ・マハル旅行団の3作品は、Pヴァインやメトロトロンの芝省三氏のレーベルから紙ジャケで復刻。大野松雄の唯一のソロ『そこに宇宙の果てを見た!?』は拙者も参加したキングレコードの作品集に完全収録。同スタッフによる、坂本龍一+土取利行がコジマ録音に残した『ディスアポイントメント・ハテルマ』も紙ジャケ復刻にこぎ着けた。高橋悠治の一連の作品は、CD版はずっと入手困難だったが、先日コロムビアミュージックエンタテインメントから全紙ジャケでリマスター再発。三善晃『音楽詩劇 オンディーヌ』も現在は廃盤だが、別ジャケで一度CD化されている。

10、海外のシンセサイザー音楽

ここではウォルター・カーロス『スイッチト・オン・バッハ』を嚆矢とする、モーグ、アープ、EMSなどを使用した世界のシンセサイザーのレコードを、可能な限り各国のコレクター氏の協力で集め、75ページ近くのボリュームでまとめたもの。カーロス以下、ジャン・ジャック・ペリー、ガーション・キングスレイ、ブルース・ハークなど主要作家については、ディスクをまとめて作家別のプロフィールを紹介している。『スイッチト・オン・バッハ』がクラシック・レコードとしては異例の100万枚ヒットを記録したことから、各レコード会社や録音スタジオがモーグのモジュールをこぞって購入(日本でも青山ビクター・スタジオが導入)。当時の流行歌を、楽団とチープなシンセ・サウンドでカヴァーした企画モノのレコードが山ほど作られた。この章で現在、もっとも音楽通の間で評価が高いのは、ディズニーランドの「エレクトリカル・パレードのテーマ」の原曲を手掛けた、ジャン・ジャック・ペリーとガーション・キングスレイのコンビの仕事だろう。日本では現アプレ・ミディの橋本徹氏が、サヴァービア・スィート時代にヴァンガードの契約先だったキングレコードから世界初のCD復刻を実現。山本ムーグ氏(バッファロー・ドーター)のアートワーク、監修の下、拙者もちょろっと関わらせていただいた。立花ハジメヤン富田氏も謝辞を寄せているキング盤は廃盤になったが、この日本盤が世界的再評価の火を付ける格好となり、現在は輸入盤のほうで入手し易くなった。もうひとつ、日本では以前から有名だったのが、電気グルーヴのカヴァーで知られるホットバターの「ポップコーン」。ノベルティ・レコードとして世界で100万枚のヒットとなったが、実はこれもガーション・キングスレイの作品。ホットバターが取り上げる前に作曲者自らのモーグ・ヴァージョンが存在しており、70年にその国内リリースを手掛けたのが後にアルファレコードを設立する村井邦彦氏だったという意外な歴史もある。この章についても、近年、CD復刻が盛んで、以下、主なものだけあげておく。カーロスの全作品は自身のレーベルから全CD化。デビュー作から「ブランデンブルグ協奏曲」までのバッハ作品は、CD BOXにまとめられた。ペリー&キングスレイは、オリジナルの2作および各ソロのCD化が一巡を終えた感じだが、非売品だったモンパルナス2000のライブラリー音源(なぜか『ウルトラマンA』や石立鉄男ドラマの劇中で多用されている)まで手を付けられており、現在まで2枚のコンピレーションCDが発売されている。ロン・ギーシン(ex.ピンク・フロイド)やデヴィッド・ヴォーハウス(ホワイト・ノイズ)がイギリスのKPMに残した非売品音源も、KPMのアーカイヴCDやサブライセンスのコンピ盤などに抜粋して復刻。ブルース・ハークはその半生がドキュメンタリー映画にもなり(DVDで入手可能)、『Bite』までの全作品が日本でのみCD化された。ギル・トライザルのカントリー・モーグ・シリーズも紙ジャケ復刻は日本のみの快挙。ベルギーのダン・ラックスマンが残した、テレックス結成前の青写真的アルバム『Disco Machine』(ジ・エレクトロニック・システム)のデジパック復刻には驚いた。ロシアのエドゥワルド・アルテミエフの音源は、子息のアルテミー・アルテミエフが主宰するエレクトロショック・レーベルに原盤が集められ、入手は容易ではないがかなりの作品がCDで聴けるようになった。ホットバターは2 in 1のベスト盤で全作品を網羅。ディック・ハイマンは、『21世紀の旅路』が輸入盤で、メリー・メイヨーとの『ムーン・ガス』が日本盤で入手可能になった。ジョン・キーティングは『Space Experience』シリーズの1、2が2 in 1でCD化。ジャック・クラフトとラリー・アレクサンダー『シンセサイザー1812年”』はヘタレな別ジャケットによる地味なCD化だったので、復刻に気付かなかった人も多いかも。フランク・ザッパなどとの親交から、サイケ・ファンに名の知れたヴァイヴ奏者、エミル・リチャーズの2作品も日本でのみ復刻。マーティン・デニー翁が自らモーグに挑戦した、YMOの出現を予告している名盤『エキゾティック・ムーグ』は「クワイエット・ヴィレッジ」1曲のみ、ヤン富田氏監修の最初のコンパイル『ベリー・ベスト・オブ・マーティン・デニー』に収録されているが、現在は入手困難かも。ほか、ジョン・アンドリュース・タータグリア『Tartaglian Theorem』、ロジャー・パウエル『Cosmic Furnace』、スザンヌ・チアニ『セブン・ウェイブス』(ジャケ少々改訂)、ティム・クラーク『The Last Question』(但しマスター紛失のため、アンドロイド・シスターズの購入特典として盤起こしCD化)、オッコ『Sitar & Electronics』、ギル・メル『Tome VI』(日本のタワー・レコードが自主復刻)などがCD化されている。

11、デモンストレーション

電子音楽 in JAPAN』では、日本で最初のモーグIII-Pのオーナーとなった冨田勲が、71年にそれを輸入するまでに巻き込まれた有名な「羽田税関事件」などのトラブルについて紹介しているが、冨田氏の回顧インタビューで驚かされたのが、当時のシンセサイザーにはマニュアルというものが存在しなかったこと。付いているのはペラペラの機材説明書のみで、冨田氏はモジュラー・シンセサイザーのあの複雑な操作方法を、ほとんど独学で体得していったという、実に空怖ろしいエピソードがある。なにしろ発明者のロバート・モーグさえ、シンセサイザーの可能性のすべてを知り尽くしていたわけではなく、無限の組み合わせで生まれるサウンドのバリエーションの秘術を一冊のマニュアルにまとめるには、シンセサイザーはまだ技術者にとって未知な部分が大きかったのだ。しかし、未体験の楽器ゆえに初心者にセールスする武器として、必ずレコードやフォノシートなどの音のサンプルが提供された。この章は、モーグ、アープなど、オーナーに配布された非売品のレコードの数々をまとめたもの。モーグ盤にはウォルター・カーロス、アープ盤にはロジャー・パウエルといった著名アーティストが音源を提供しており、その大半が未発表曲というお宝音源集でもある。こうしたサウンドチュートリアルシンセサイザーに限らず、ミュージック・コンクレート入門、電子オルガン、ベル研究所の人声合成のレポート報告など、さまざまな分野で利用されていたようで、ナレーションを交えたデモンストレーション盤の世界も実に多彩。この章の紹介作品は性格上、CD復刻の機会には恵まれていないが、ベル研究所が発表した『The Science Of Sound』のみ名門フォークウェイズのカタログに今でも掲載されており、ジャケットはペラのモノクロコピーのみだが、オーダーメイドでCD-Rが注文可能だ。

12、スポークン・ワード

本書のまえがきで、拙者の同年代の人々が、70年代にレコード店によくあった「SL、効果音、シンセサイザー」というぞんざいな仕切盤の中で、冨田勲YMO(私の郷里は田舎だったので、これマジ)の音楽に出合ったというエピソードを紹介している。ロックでもない、ポップスでもない、かといって全部が全部プログレでもない、当時のシンセサイザーを使ったレコードは、一種の企画ものとして長年の間流通していた歴史があった。よく、はっぴいえんど〜ティン・パン・アレイ時代からの細野ファンの先達が、その流れで買ったYMOのファースト・アルバムを聴いて「なんじゃこの企画モノは」と落胆したというエピソードを耳にするが、当時の光景を覚えている私には、それも無理からぬことと思う。下の世代のファンは、神格化された殿堂入りバンドとしてのYMOから、帰納法的にルーツを辿る人が大半だと思うが、私が最初にYMOに魅せられた79年ごろ、あの伝説的なグリーク・シアターのライヴをレコード店頭のビデオで見た後でさえ、何をしでかすかわからない危なっかしい、正体不明のいかがわしいバンドとして目に映ったものである。実際、シンセサイザーサウンドは「味の素のようなもの」とも呼ばれ、冨田勲が『月の光』〜『惑星』の一連の名作を連発している充実期でさえ、アカデミズムは彼を企画モノ作家として長らく扱ってきたのだ。実際、理系少年だった私がこの分野にのめり込んだのも、純粋な音楽として魅せられたのではなく、映画やノベルティ音楽の回路を経由してのこと。そんな後ろめたさはあったものの、しかし今では映画『ALWAYS 三丁目の夕日』のように、昭和時代にあの仕切盤の下で名作と出合ってきた思い出に郷愁を感じるほどだ。中にはインチキクサイUFOのドキュメンタリー盤や、とてもYMOには及ばない安っすいクラフトワークもどきも無論あるにはあった。魔が差してそういう盤を買ってしまった月の後半は気分はずっとブルーであった。そんな駄盤の歴史さえ、今ではいとおしい。そんな罪作りな企画盤の数々を生み出していたのは、レコード会社の中でも閑職と言われた、当時の学芸部や文芸部。ほとんど一発ギャグというか、まるでみうらじゅんテイストな企画盤のほうが多かったが、MIDIがない時代にスタッフが零細な予算で徹夜して作ったものだから、それでも一分の魂はある。この章は、そんな学芸部、文芸部マインドを感じる、音のドキュメンタリー、語り物などで電子音が効果的に使われているケースを集めてみた。トム・クルーズやシルベスタ・スタローンも入信するカルト教壇、サイエントロジーの入門レコード(なんと名匠ポール・ヴィーヴァーがスタジオ提供)から、セックス教義で知られ、70年代は『平凡パンチ』周辺でモテモテだったラジニーシ導師のコンセプト・アルバム、「もしシンセサイザーとセックスしたら?」をテーマにした『The Sounds Of Love...A To Zzzz』など、泡沫的なアイデアの数々に呆れること必至である。しかしながら、三遊亭円丈桂文珍の「シンセサイザー落語」(蕎麦をすする場面などに、PSY・S松浦雅也氏や平沢進氏らがホワイト・ノイズの音を被せる力業に涙……)や、小池一雄原作の『子連れ狼』を「浪曲電子音楽」(モーグ演奏は佐藤允彦)でドラマ化した盤など、ポッド・キャスティング時代の今だからこそ再評価される未来的芸術も。そんな泡沫盤ばかりなので当然、CD復刻されるケースには恵まれていないが、湯浅学氏、田口史人氏、永田一直氏といった心あるコンパイラーの尽力によって、先の桂文珍シンセサイザー落語を収録した『落語現在派宣言』、ミッキー吉野グループ『残・曾根崎心中●花柳幻舟』、『衝撃のUFO』(但し、マスター紛失により盤起こし)などのCD化が叶った。エド・ウッドの再評価の影響もあってか、フォレスト・アッカーマン『Music For Robots』までが現在はCDで手に入る時代に(とは言え、渋谷すみやぐらいでしか見たことないが……)。

13、日本のシンセサイザー音楽

『スイッチト・オン・バッハ』が日本に紹介されたのは、全米発売の翌69年のこと。前年に資本自由化第一号として、日本のソニーと米国のコロンビア・レコードの合弁会社として発足した、CBSソニーの初期カタログとして大々的に話題を呼び、翌年の大阪万博でもアメリカ館ほか会場内で未来空間を音で演出していた。おそらく、日本の純粋なシンセサイザーの多重録音第一号は、70年にミニ・モーグを個人購入したジャズ・ピアニスト、佐藤允彦モーグシンセサイザーによる日本のメロディー』(71年)だろう。翌年には、一連のカーロス作品をリリースしていたCBSソニーが自社制作によるシンセサイザー盤に着手。ドイツでアープ2600を購入して帰国した沖浩一氏(スカパラの沖佑市氏の実父)の作品と、モーグIIIーPの日本のオーナー第一号、冨田勲氏が74年の『月の光』に先駆けて制作したプレスリーのカヴァー集という、2枚の国産スイッチト・オン・シリーズが同社のカタログに残されてる。ここではそんな、冨田勲を筆頭とする国内のシンセストの作品を、国会図書館の資料を洗いざらいに調べてまとめてみた。松武秀樹氏が冨田スタジオの助手だった逸話は有名だが、YMO前夜までに30枚近くのアルバムを残しており、その大半をここで紹介することができたのは快挙である。また、名もなきシンセサイザー盤のスタッフには、アルバイトで関わった坂本龍一氏や佐久間正英氏、平沢進氏などのクレジットもあり、後のブレイクを予感させる「青の時代」の仕事として、今日意味を持つ盤も。こうした企画盤は現在、作家本人の意向もあって歴史のトランクポケットに封印されているものも多く、CD復刻できないものも多いが、一応数少ないケースを記しておく。冨田勲の『月の光』前夜の「習作“愛”コンポジション」は学校教材向けCDに収録。だが、傑作として知られる「沈める寺」(ローディのCMヴァージョン)を収録した2枚組『冨田勲の世界』は、今回のコンプリートCD BOXに収録されなかったのが惜しい。松武秀樹が冨田スタジオ時代に関わった最初の仕事、竜崎孝路とロック・サクセッション『モーグサウンド・ナウ/虹をわたって』と、松武主宰のMAC時代の作品『幻想曲“星への願い”』『江戸 EDO』は知人の音楽ライター、湯浅学氏の酔狂によってCD化された。YMOファンには「もっともYMOサウンドが近い松武作品」として知られる、松武秀樹&K・I・カプセル『007デジタル・ムーン』と、フォーライフに残した2枚の『スペース・ファンタジー』シリーズ(渡辺香津美の「マーメイド・ブールヴァード」収録!)とも、編集盤としてCDにコンパイル。バッハ・リヴォリューションのオリジナル2作品や、難波弘之のソロは、プログレ専科の『ストレンジ・デイズ』誌が復刻を手掛けている。平沢進氏のプレP-model的仕事として有名な、長州力のテーマ「パワー・ホール」(現在は長州小力のテーマとしても有名)も、何度かのオムニバス収録を重ねており、CD音源を探すのは容易いだろう。多作だがCD化には恵まれていない東海林修作品は、映画『さよなら銀河鉄道999』の2枚組LPが一度曲を割愛して1枚モノでCDされた前科はあったものの、現在はサントラ+シンセイサイザー盤の全音源を収めたCD BOXが発売されている。宇野誠一郎が参加した“ソフト・ロックmeets電子サウンド”な黎明期の作品『21世紀のこどもの歌』は、濱田高志氏が念願の10年越しのCD復刻を実現。拙者もつたないながら、ライナーノーツ解説を書かせていただいた。佐久間正英プラスチックス解散後の初のソロ『Lisa』は、84年にLPと同時にCDも出ているオーディオ・チェック向け作品だが、後にイギリスのPAN EASTから遅れて英国発売されており、こちらのCDのほうがやや入手しやすいかも。ともに子供番組の挿入歌だったシングル、ペグモ「SOSペンペンコンピュータ」、酒井司優子「コンピュータおばあちゃん」は、拙者が選曲・監修した『テクノマジック歌謡曲』『イエローマジック歌謡曲』に収録された。長い間、権利関係が複雑で復刻できなかったツトム・ヤマシタ作品も、現在は全タイトルがCDで入手可。急逝した茂木由多加は、ソロ第一作『デジタル・ミステリー・ツアー』のみ、四人囃子全タイトルのCD復刻の際にユニバーサルのハガクレ・レーベルで紙ジャケ復刻されている。筒美京平が覆面でリリースした、Dr.ドラゴン時代の2つのシンセサイザー使用盤は、ビクター盤が濱田高志氏、東芝EMI盤が湯浅学氏と田口史人氏によってともに復刻。キングレコードに残した清水信之の初期作品『エレクトロ・ポップス・オン・ビートルズ'80』、スピニッヂ・パワー『ポパイ・ザ・セーラー・マン』、ソロ『コーナー・トップ』はすべてCD化されているが、『エレクトロ〜』の悲惨な復刻については別エントリーを参照されたし。久石譲のデビュー作、ワンダー・シティ・オーケストラ『インフォメーション』は、ジブリ・ブームの折に全作品CD化によって復刻が叶った。森下登喜彦がモーグIIIで水木しげる世界をリアライズした『妖怪幻想/水木しげる』の湯浅・田口両氏による復刻CDは、現在では入手が少々難しいかも。YMO結成時にニアミスした、元ハックル・バックの佐藤博が残したシンセサイザー使用盤『オリエント』は、今度まとめてCD化されるという話を聞いた。YMOファンには、細野、坂本のプレテクノ期の習作ソロがそれぞれ収録されていることで知られていた、日立提供のオムニバス『ハイフォニック・ハイフォニック』は、それぞれ別々のコンピレーションで音源の初CD化を果たした後、現在はオリジナルな形で復刻されている。

14、日本のテクノポップ

テクノポップ」という言葉は日本が発祥で、「YMOの世界進出」とともに海外に輸出され、クラフトワーク、ザ・バグルズなどが曲名に採用する国際語となる。だが本書では、この手のディスクガイドで必須とも言うべき、定番のクラフトワークディーヴォなどの「海外のテクノポップ」の項を一切割愛した。それぞれがプログレ、パンクなどの歴史の中に存在する作品を、勝手に日本人がテクノポップと冠した作品が多いため、その定義づけを逡巡する時間もなかったことから、筆者の判断でそういう構成を取っている。そのぶん「日本のテクノポップ」に関しては、フォローすべく緻密に章立てをし、YMOプラスチックスヒカシューP-modelヴァージンVS、サロン・ミュージック、8 1/2ハルメンズ(少年ホームランズ)、一風堂ピチカート・ファイヴ、Shi-Shonen、PSY・S、アーバン・ダンスなど、プレテクノ期にリリースされた稀少盤まで含めて、各グループの歴史を検証してみた。とにかくYMOのカタログだけでも、シングル・ヴァージョンやらメンバー各ソロまでを網羅した上、その説明のしつこさは保証付き。この章については、多くのファンを抱えるジャンルゆえにCD復刻はすでに何巡かを終えた段階だと思うが、加藤和彦YMO三部作、スーザン、一風堂、Shi-Shonen「憧れのヒコーキ時代」『Do Do Do』、アーバン・ダンス『セラミック・ダンサー』、ワールド・スタンダード『ダブル・ハッピネス』といった未CD化ミニ・アルバムなど後手に回っていたカタログも、00年代に入って無事初CD化を果たしている(念願の有頂天のシングルスも3月発売決定とか)。だが、なんと言っても驚かされたのはカセット・マガジンTRAの一連の音源(中西俊夫『HOME WORKS』、ショコラータ『ショコラータ・スペシャル』など)まで復刻されたこと。復刻元のブリッジは、90年代のYMO復刻を手掛けていた元アルファのT氏、ミディ・レコードの元A&Rで元YMOのマネジャーでもあったI氏らが立ち上げたレコード会社である。これに加え、私の『宝島』編集者時代に名物プロモーターとして名を馳せた、元徳間ジャパンのI氏が独立して立ち上げた個性派レーベル「いぬん堂」の復刻プロジェクトも、最近は賑やかな話題を提供している。

15、ジ・アート・オブ・サンプリング

ロバート・モーグ博士が60年代に創造した、あらゆる楽器、自然音を模写できるシンセサイザーは、四半世紀にわたって「未来の楽器」として最前線のポジションに鎮座ましましていた。だが、その表現の限界に誰もが気付き始めていた80年代初頭、当時のPCM技術の粋を集めて作られたサンプラーがオーストラリアから登場。「現実音すべてに音階を付けて演奏できる」この新技術を前にして、万能楽器と呼ばれたアナログ・シンセサイザーの最大のアイデンティティは、一瞬にして過去のものになった。自然音をマイクで取り込み、デジタルの符号として記録するPCMの技術は、今日のプロ・トゥールスなどのレコーディング環境の根幹をなしているもの。だが、当時はメモリがまだ高価だったため、サンプラー一号機だったフェアライトCMIもサンプリング分解能=8ビットという脆弱なスペックでありながら、日本円にして1200万円もする高級楽器であった。むろん、後のヒップホップでおなじみとなるブレイクビーツのように、一小節のフレーズをまるまるサンプルすることなど、夢のまた夢。それでも、81年に「七面鳥をどうやって弾きますか?」という華々しい惹句とともに楽器業界に現れた米国初のサンプラーE-muエミュレーターを始めとするこの新楽器は、65年のシンセサイザー登場以来のインパクトを持って音楽業界に受け入れられた。多くのミュージシャンの創造性を刺激することとなったが、その最たる存在は、YMOの『テクノデリック』とトレヴァー・ホーンのグループ、アート・オブ・ノイズの初期のアルバムだろう。この章では、それがまだ特別な存在だった80年代初頭に、自然音を音楽に取り込むというサンプリング技術そのものをコンセプトに据えた傑作アルバムの数々を集めている。特に拙者肝いりのアート・オブ・ノイズについては、前哨戦として手掛けたマルコム・マクラレン、イエスの諸作からレーザーディスク、ライブラリー・ディスクまでを網羅。他のディスクガイドなら「新しい音楽はすべてテクノポップ」とぞんざいに定義してきた、M、フライング・リザーズ、ゴドレイ&クレーム、OMDなどのカタログも、サンプリング登場以前以後に区分して、そのサンプラー使用第一作のみをクローズアップしている。実はこの本の最終章となるこのカテゴリー。歴史がもっとも新しいものでありながら、CD黎明期の歴史とともに時代の徒花と化しており、実はもっともCD復刻で顧みられていない時代でもある。ザ・バグルズ『Adventure In Modern Recording』は日本でのみ2度CD化、アート・オブ・ノイズのデビュー作『イン・トゥ・バトル』は先日のCD BOXで全音源の初CD化が叶ったばかり。ヒット曲「レッグス」を含むチャイナ期のカタログがずっと入手困難であることは、先日のエントリーで触れた通り。ロビン・スコットがYMO『テクノデリック』の影響を受け、高橋幸宏をゲストに迎えて制作した『Famous Last Words』は、ジャケを改訂してCD化されている。ルパート・ハイン『イミュニティ』も過去2回CD化されているが、一度もオリジナル・ジャケットで復刻されたことがない変わり種。OMD『ダズル・シップス』も、なぜか現行CD版ジャケのお粗末なことこの上ない。ホルガー・ヒラーの傑作初期2作は英ミュートで2 in 1でCD化されたことはあるものの、音源違い、ジャケット違い(なんとデザイナーは「空耳アワー」の安斎肇氏)の日本盤は未CD化のままである。ジャーマン・ニュー・ウェーヴ・バブルの追い風もあってか、A.K.クロゾフスキー+ピロレーター『Home Taping is Killing Music』の国内CD化には驚かされたが、ポップス好きの私の愛聴盤であるピロレーター『トラウムランド』、パレ・シャンブルグ『Parlez-Vous Schaumburg?』などの80年代中期作品は、カリスマ度が低いせいか各々一度CD化されたっきり。トニー・マンスフィールドのニュー・ミュージック『ワープ』の初CD化は、日本のみの快挙である(ボーナス曲のアプルーバルとライナーは拙者が担当)。最終ページは、拙者も敬愛する「日本のアート・オブ・ノイズ」ことTPOの作品群で1ページを構成。コーネリアスの番組『中目黒ラジオ』で紹介され、近年再評価の高まっている「Sundog」を収録した名盤『TPO1』のリマスター復刻を、私は誰よりも切に願っている。


 以上、全章を駆け足で紹介してみたわけだが、話が長すぎだっつーの! だが、そんな目いっぱい情報を詰め込んだ一冊であるから、ぜひご購入いただいた後、チマチマと時間をかけて楽しんでいただければと思っている。一応、同じ版元ということもあり、例の『イエロー・マジック・オーケストラ』刊行時に、併せて再出荷されると聞いているが、果たしてその話を信じていいものかどうか……(笑)。また以前のエントリーで書いている通り、大型CD店流通分の初回配本分には、ヤン富田氏の作品を収録した非売品のCDとDVDが付いている。まだ初回配本分は都内には若干残っているようで、シュリンクされていて間に何か付録クサイものが挟まっている感じを察したら、きっとそれは特典付きかもしれない!(保証できないので、店員さんに一応、確認してみてね)「『イエロー・マジック・オーケストラ』が出たときに、また改めて」とは言わず、本エントリーを読んで面白そうと思った方は、ぜひ一刻でも早くお求め下され。

紙ジャケ8cm CDシングル特集。ギザカワユス

 以前取り上げた「消えゆくメディア8cm CDシングル」のエントリに様々な反響をいただいたので、その続編を書こうと思っていたら、「8cm CDシングル」の世界にはすでに多くの研究者の方々が! 実際、専門の情報サイトもあるし、8cm CD曲のみを持ち寄る闇鍋みたいなDJイベントもあったりするらしい。「シングルのみのアルバム未収録曲」というと、アナログ・レコード時代にカップリングされた、未発表曲、アルタネイト・ヴァージョンのほうが歴史が古いのでレアだと思われているが、実はCD化に際してボーナス・トラックとして収録されることも多く、現在はかなりの曲がアルバムで聴けるようになった。逆にCD時代になってアルバムと並行してリリースされたCDシングルの未発表曲ほうが、ボートラとして再利用される機会もなく、幻のヴァージョンとして闇にさまよう運命を背負っている。そんな理由もあって、メディアとして消えつつある「CDシングル」の再評価へとつながっているのだな。小生も続編用にいろいろレコード棚をまさぐっていたものの、専門家にはとても及ばないので、今回は切り口を変えて「紙ジャケCDシングル」を特集してみた。
 「紙ジャケCDシングル」と言えば、江崎グリコ「タイムスリップ・グリコ」のオマケとして登場してコレクター市場を開拓。ブルボンなどの他メーカーも参入して類似商品を出したりと、一時は活況を呈していたジャンルである。「タイムスリップ・グリコ」の派生商品として生まれたプロフィールでわかると思うが、いわばアナログ・シングルを模したフィギュアのようなもの。ちまちまとしたミニ・スケール再現を好むフィギュア・マニアには、「紙ジャケCDシングル」はたまらなくフェティッシュなものらしい。それに玄人筋に言わせれば、ただジャケットを縮小しただけのグリコより、紙のレーベル・スリーブまで再現している某社の商品のほうがよいんだとか。小生はフィギュアのたぐいにまったく興味がなく、携帯のストラップなどをもらっても人にあげてしまうほど。どうも私、紙やデータへの偏愛のようには、立体物への愛着がないのだな。アルバムの紙ジャケ復刻も、実は鬱陶しくてしょうがない。棚に並べる時もサイズがあわないし、保存用の袋の糊の部分が紙ジャケにひっつかないかと、いつも冷や冷やする。昔は「紙ジャケと言えば高級感がある」と言われていたが、今は供給のための生産ラインも完備されていて、実はある枚数以上作るとジュエル・ケースよりも安く上がるんだとか。まあ、いつのまにかレコード会社のコスト対策に巻き込まれてしまっているのだな、消費者の幻想も。
 とはいえ、短冊形のCDシングルのようなレギュラー商品ではなく、商品としてはほとんど流通していない「紙ジャケCDシングル」だからこそ、雑誌のオマケやフリー・サンプラーなどの冒険的な企画に使われることが多いよう。なんとなしにもらったものを放り込んでいた箱を今回整理してみたら、それなりに面白いものがたくさんあった。有名なのは、コーネリアスが毎回アルバム予約特典で付けている「nova susicha」シリーズだろう。イタリアのクランプスから出たジョン・ケージの作品集のジャケットを模したもので、名義はコーン・エリアス。毎回、コーネリアスの未発表曲を収録しており、これまでに通算8枚が発表されている。今月リリースされるニュー・アルバムにも付いているそうなので、近日中に9、10が発表されるということか。
 と言うわけで、「紙ジャケCDシングル」についてはそれほど熱い思い入れもないので、いつもの蘊蓄もなく、とりあえずさっさと紹介してみる。



コーン・エリアス「E 1/2 Live at Reading Festival」(ポリスター

記念すべき「nova susicha」シリーズの第一弾。収録曲は1曲で、小山田、堀江博久(ニール&イライザ)、大橋伸行(ブリッジ)、荒木優子(ex.上田ケンヂ)の4人のセッションによるパンク風のインストをライヴ・ヴァージョンで収録。オーディエンス録音で音は荒々しく、パンク・バンドのブートレグを聴いているような気分。

コーン・エリアス「preview of point for Tower」(ポリスター
コーン・エリアス「preview of point for HMV」(ポリスター

前者はタワーレコード、後者はHMVの『point』の予約特典だったもの。こうした新録音源を特典としてアーティストが提供するケースがままあるのだが、初回ロット数が一定の枚数をクリアしているなどの条件を満たす必要があるために、個人経営の店などでは実現性は難しく、全国店分をまとめ買いする大手ブランドに限られる。内容は新作アルバムからの予告編的なカットアップなのだが、これ自体が面白いソニック・コラージュ作品に。タワー版はテレビのCMでおなじみ「タワー・レコーヅ!」の声、HMV版にも店内放送などで使われているとおぼしき「HMV」という声の、それぞれジングルを素材として使っている。鳥の声やゲップ音、プッシュホン電話の電子音などが使われた曲の土台は同じだが、ジングル以外にも、前者にはスローガンの「ノー・ミュージック・ノー・ライフ」が出てきたり、後者にはHMV名物のニッパー君を連想させる犬の鳴き声が入ってたりと微妙な違いがある。ホントにビミョーだけど(笑)。両方ともエンハンストCDとして、『point』のCM映像も併せて収録。

コーン・エリアス「cm2 HMV」(ワーナーミュージック・ジャパン
コーン・エリアス「cm2 Tower」(ワーナーミュージック・ジャパン
コーン・エリアス「cm2 Virgin」(ワーナーミュージック・ジャパン

コーネリアスのリミックス作品を集めたコンピ『CM2』用として付けられた、HMVタワーレコードヴァージンメガストアそれぞれの予約特典。92年にコーネリアスが正式にワーナーに移籍したため、ここからワーナーが発売元になっている。この時はヴァージンメガが初参戦したのだが、近年店舗数が減りつつあるヴァージンは台所事情も厳しいようで、今度の新作には加わっていない。それぞれ3曲入り。コーネリアスの未発表曲「The Star-Spangeled-Gayo」のみ共通で、残りの2曲づつは、雑誌『サウンド&レコーディング・マガジン』が主催したリミックス・コンテストの応募作品のうち、入選作を集めた『PM』に入らなかったものを抜粋している。先日、ニュー・シングル「music」に併録されて初リリースされた「The Star-Spangled-Gayo」は、アコースティック・ギターの演奏による、アメリカ国家「星条旗よ永遠なれ」(Star-Spangled-Banner)と日本の国家「君が代」のメロディーを交互につないだもの。NHK-FM小山田圭吾の中目黒ラジオ」制作中に、NHKの放送終了時にかかる「君が代」から連想してできた曲だそうで、リュク・フェラーリが「運命」(ベートーヴェン)と「火の鳥」(ストラヴィンスキー)のテープを交互につないで作ったギャグみたいな曲「ストラトーヴェン」がおそらく構成のヒントになっている。『PM』落選作のほうは、『point』の曲のパーツがネットでダウンロードできるようになっていて、それをアマチュアの音楽家が各々ミックスしたもの。エレクトロニカ風、アンビエント風、暴力温泉芸者風のノイズ路線、ファンタスティック・エクスプロージェン風のテレビコラージュなど多彩。個人的には「cm2 HMV」収録の、80年代クリムゾン風のdpgbgbdp「boiufuioboiufuioboiufuibpointoniopointniopointniop」がよかった。小生の妄想に過ぎなかったフリッパーズ・ギター「フリッパートロニクス起源説」がこんなところで実践されるとは! ちなみに本作もエンハンストCDになっており、共通で「from Nakameguro to Everywhere」という、満開の桜が咲く路地を小山田氏が何度も横切る、アンビエント風音楽を付けた環境映像が収録されている。

コーン・エリアス「pm」(フェリシティ)

『PM』の発売元だった、元ポリスターのトラットリアのA&R、S氏が独立して作ったインディー・レーベル、フェリシティから。こちらも1曲目は共通の「The Star-Spangled-Gayo」で、残り2曲が『PM』未収録ミックス。ボアダムズのレーベル“ショック・シティ”を擁する同社だけに、歪み系+位相系エフェクトによる暴力的コラージュ「理にかなう支離滅裂な言葉…撤回?? VERSION2.4」など、ほとんどコーネリアスの原型をとどめていない。

コーン・エリアス「fivepointone」(フェリシティ)

これも『PM』未収録ミックスから? こちらは2曲入りでスギモトトモユキ「Point Card」、TAKASHI TSUZUKI「Search」と、ともにエレクトロニカ風に再構成したもので、リミックスというより楽曲志向が強く、かなり音はマジメ。

コーネリアス『MOON WALK Radio Edit』(ポリスター

『69/96』収録のハードロック路線の同曲は、200円という低価格でカセットのみでシングルカット。「オリコンのカセットチャートで1位を取る」と宣言し、見事、演歌曲でひしめくカセットチャートで堂々の1位を記録した。これはその時、マスコミのみに配られた同曲の8cm CDシングルで、これのみ紙ジャケではなくプラケースに入ったもの。イントロにコラージュが入ったラジオ・エディット・ヴァージョンが収録されている。

コーネリアス「POINT OF VIEW POINT」(ポリスター
コーネリアスDROP」(ポリスター

ユニクロ・ブームや吉野屋の牛丼180円(懐かし…)、マクドナルドのハンバーガーも120円という世間のデフレブームに押され、ワーナーが初めて映画DVDを2500円でリリースしたのがこの年。カルチャー界もデフレの波を受けて、コーネリアスも『point』からの先行シングルを、お求めやすい1曲500円でリリース。チャートでも健闘した。拙者はこの時、週刊誌で「カルチャー界デフレブーム」という特集を組んでポリスターに取材に行ったのだが、カップリング曲をなくして低価格化したとはいえ、流通コストは同じ。コーネリアスクラスの生産枚数だとほとんど赤字で、基本的にプロモーション費を回した話題作りとのことであった。

IZUMI SAKAI + YASUHARU KONISHI「CAN'T TAKE MY EYES OFF YOU」(B-Gram)

ZARDのベスト盤の初回分にインサートされていた非売品CDシングルで、名曲「君の瞳に恋してる」をピチカート・ファイヴ小西康陽が編曲し、ZARD坂井泉水が歌ったというもの。名義は2人の連名になっているが、cobaスペシャル・サンクスでクレジットされており、ジャケットのイラストの隅にも載っている。後にアナログ12インチとして市販もされた。

四人囃子「拳法混乱」(ディスクユニオン

『NEO-N』期の唯一のアルバム未収録曲で、ジャッキー・チェンの映画『酔拳ドランク・モンキー』の日本上映版の主題歌として使われたシングル。四人囃子の全アルバム紙ジャケ再発の時に「全枚購入特典」として、ディスクユニオンのみで初CD化された。ディスクユニオンも大型外資系に負けぬ独自企画をやることがあり、以前には、ポリドールから復活したP-modelP-model』リリースの際に、「美術館で会った人だろ」ほかのデモ・ヴァージョンを予約特典として独自にCD化したこともあった。

ショコラ「"Chocolat á lamode"Special Sampler」(NeoSITE)

人気モデルだったショコラのファースト・アルバムの発売前に店頭で無料配布されたもの。当時、彼女がCM出演していたロッテとのタイアップによるもので、見開きジャケットに8cm CDと「ミントブルー」というガムが入っている(当時のままなので、開けるのが怖い……)。ショコラ本人の曲解説が声で聞けるほか、「ミントブルー」のCMで使われたボサノヴァ曲「Blue mint blue」のテレビ・サイズはこれのみに収録。3曲目は、カジ・ヒデキ、ニール&イライザがプロデュースした『Chocolat á lamode』からのカットアップ構成によるモンタージュ

「CUT-UP! TRATTORIA CUT-UP HIBIKI TOKIWA」(ポリスター

デザイナー兼DJの常盤響氏が、コーネリアス率いるトラットリア・レーベルの音源を使ってコラージュした20分に及ぶ長尺シングル。ジャケットのイラストも本人。名盤「ライノ・サンプラー」に触発されて始めた常盤氏のミックスCDは業界内にもファンが多く、結婚披露宴の時に渋谷インクで配られた引き出物CDは、小西康陽氏が気に入ってピチカート・ファイヴのヨーロッパ・ツアーの幕間音楽として使われたこともある。当時の最新作だったコーネリアスファンタズマ』ほか、カジ・ヒデキ、カヒミ・カリィや、フリー・デザイン、ルイ・フィリップなどのライセンス音源も縦横無尽にカット&ペースト。ローランドのハードディスク・レコーダーによるコラージュは、リング・モジュレーターやフィルターなどでモディファイしたもので、DJのミックスCDというより完全な音響作品という風情。一部のショップでこっそり発売された、砂原良徳とのカップリングCDなどと同じく、非合法な音源も素材として出てくるもので、今後も一般発売は難しいだろう。でありながら業界ファンも多いため、ほかにもテイ・トウワの同様のコラージュCDが業界配布サンプルとして作られていたりするのだ。

ボアダムズ「Super roots 2」(WEAジャパン)

市販されている『Super roots』の続編として作られた、5曲入りの非売品CDシングル。スティーヴ・ライヒ「クラッピング」みたいな「Sexy Boredoms」、チープな電子音とトランペットによる掛け合いの「Magic Milk」、まるでキャプテン・ビーフハート風の「White Plastic See-Thru Finger」など、当時まだ轟音路線だったオリジナル作品よりも可愛いトイポップサウンドに。

カジ・ヒデキ「HIDEKI KAJI SAMPLER」(トラットリア)
カジ・ヒデキ「HIDEKI KAJI SAMPLER VOL.2」(トラットリア)

ともにソロ・デビュー時に店頭で無料配布されたもの。前者は広末涼子が出ていたNTTドコモのCMで使われた、最初のシングル「マスカットEP」の予告編として作られたもので、同曲のデモ・ヴァージョンとCMサイズに、キューピーのCM曲「君のハートのナチュラル」、ソニーCM「スティーヴ・マーティンと踊る猿」それぞれの本人歌唱によるデモを収録と、すべて未発表曲という大盤振る舞い。「明星一平ちゃん」のCMに出演したりと、カジ氏が当時、メジャー・シーンで活躍していたことを思い出す。後者はアルバム『ミニ・スカート』の告知CDで、琴の調べに乗せて新春の挨拶をする「カジ・ヒデキからの挨拶」という前口上と、アルバムからのダイジェスト「ミニ・スカート予告編」を収録。

スクーデリア・エレクトロ「FREE SAMPLE」(ポリスター

スパイラル・ライフ石田ショーキチ(小吉)と、元YMOのエンジニアだった寺田康彦、吉澤瑛師が結成したレコーディング・ユニット。ジャケットはコダックのフィルムケースを模している。本作は96年のファーストのプロモーションとして作られたものだが、アルバム未収録のヒューマン・リーグのカヴァー「愛の残り火」を、石田、寺田それぞれがリミックスしたというもの。

ディーコン・ブルー「FOUR BACHARACH & DAVID SONGS」

小ささを極める日本の携帯電話に比べて、標準的に体の大きい欧米人の携帯は、ボタンの押しやすい大きめのものが好まれるとか。映画館のバケツみたいなポップコーンとか、ゲーム機「X-box」の筐体を見て、つくづく国民性の違いを感じるが、日本発で生まれたチマチマとした「8cm CDシングル」も、活況を呈していた日本経済のように、海外進出を果たしていた。これはプリファブ・スプラウトと人気を二分していた英国のスティーリー・ダン・フォロアー、ディーコン・ブルーがバカラック曲をカヴァーした4曲入りCDシングル。「恋よ、さようなら」「ルック・オブ・ラブ」「アー・ユー・ゼア」「メッセージ・トゥ・マイケル」4曲を取り上げているが、アレンジも至ってシンプル。アナログ12インチしか流通しなかった日本では、2枚組ベスト『ラス・ヴェガス』のしっぽのボーナス・トラックに収録されている。

ヘップバーンズ「Champagne Reception」(radio knartoum)

チェリーレッド時代に大ファンになり、小生はシングルからフォノシートまで集めまくっている、こちらもイギリスのスティーリー・ダン・フォロアー的存在。これは8cm CDシングルのみという珍奇なレーベル「radio knartoum」からの9曲入りのミニ・アルバム。「Bastinade」では打ち込みでモリコーネサウンドをやってみたり、スカ風の「Jet Age International」など、いつものアルバムよりお遊び気分みたい。同レーベルはほか、スペインのル・マン立花ハジメのカヴァーで知られるクラブフット・オーケストラ、ルイ・フィリップ、シナモンなどを紹介していた。

シーシェルズ「sunshine eyes e.p.」(Marsh-Marigold)

スウェーディッシュ・ポップブームのころに登場した、エッグストーン、カーディガンズのフォロアー組の一つ。レイ・ワンダーやモーペッツなどのXTCフォロアー組のシンパだった小生には、彼らの繊細さはあまり受け付けなかったが、こういう可愛い形態でアルバムを作っていたのも彼ららしい。5曲入りで、ほとんど一発録りのシンプルなネオアコサウンド

ピープル・ライク・アス「Guide To Broadcasting」(STAALPLAAT)
「THE SOUND OF MUSIC」(STAALPLAAT)

前者は、悪名高きオランダはアムステルダムのコラージュ集団。ストック・ハウゼン&ウォークマンの弟分的な存在で、カントリーやノイズ、テレビ音声のカットアップなど、非合法な素材をコラージュしたオモロイCDをたくさん出している。本作は8cmシングルで出た単独作品で、いつものように『禁断の惑星』のSEや、古いSP盤、アニメの音楽、マーチング・バンドなどをコラージュ。後者は同レーベルから出た、ピープル・ライク・アスや、ケルティックな英国の老舗バンド、ネガティヴランドなどの音を収めたコンピ。収録組の一人であるタイムズ・アップというグループが、98年のアルス・エレクトロニカのために制作したものだとか。5曲入り。どの曲も笑えてなおかつ可愛い。

ディス・ヒート「nealth and efficiency」(these)

チャールズ・ヘイワードが在籍していたイギリスのジャズ・パンク・グループ。最近BOXも出ており、デヴィッド・カニンガム(フライング・リザーズ)のピアノ・レーベルから出ていた本作もリマスター盤で手にはいるが、最初のCD化は可愛い8cm CDシングルだった。ライナーノーツは四つ折りで入っている。表題曲1曲のみ収録。

フェリックス・クビン「時差ぼけディスコ」(A-MUSIK)

ドイツのトイポップ系アーティストで、アルバムはどれもペリキン風の楽しい打ち込みものばかり。本作は8cm CDシングルでリリースされた6曲入りのミニ・アルバムで、「電話攻撃」「超臣虫アタック」「お母ちゃんへ」など収録曲まですべて日本語。しかも手書き文字。来日したこともある。

ジェイムス・チャンス「Christmas with Satan」(Tiger Style)

コントーションズのジェイムズ・チャンスの最初のCD BOX化が告知された時に、前年の暮れに予告編としてプレ・リリースされた、クリスマス仕様のCDシングル。『OFF WHITE』から表題曲と、『Soul Exocism』から「The Devil Made Me Do It」の2曲をカップリング収録している。ヴァージョンはアルバムと同じ。

XTC「The Loving」(Virgin)

ヴァージンは早くから8cm CDシングル市場に参入したレーベルで、ほかXTC「センシズ・ワーキング・オーヴァータイム」やジャパン、スチュワート&ガスキンなども出している。本作は『オレンジズ&レモンズ』からのカットで、コリン作によるセルフ・プロデュースのジャズ曲「The world is full of angry young men」(アルバム未収録)を併録している。

インガ・フンペ「Something Stupid」(Warner Bros.

ドイツの女性姉妹、フンペ・フンペの妹のほう。日本と同じCD先進国だったドイツらしく、彼女らのシングルでCD化されたものは多いが、本作はセカンドからのカットで、これはフランス盤。アンディ・リチャードがプロデュースした表題曲の、7インチ・ヴァージョン、アダム&イヴによるハウス・ミックスを収録。パートナーのトーマス・フェルマンが書いた「moon」という未発表曲も。

ヤン富田「YANN TOMITA'S TSUNAMI SOUND CONSTRUCTION」(アスペクト
ヤン冨田「YANN TOMITA'S NEW WORLD OF MODERN SCIENCE」(アスペクト

これは番外編。拙著『電子音楽 in the (lost)world』のCD店流通分の初回盤に封入特典としてインサートされていた、ヤン富田氏による8cmのCD+DVD(非売品)。前者は雑誌『Relax』の「ヤン富田特集」号に付録として付いていたフォノシート音源の初CD化。「SURF REPORT PART 1」「同2」の2曲で、ハワイで現地の女の子をゲストに呼び、バイオ・フィードバック装置を着けて彼女から取り出した脳波データを音源にして、サージ・モジュラーなどの装置を使ってモディファイしたもの。後者は98、99年に行われた個展「ヤン富田・EXHIBITION」で公開された作品を収めた私家版DVDから、拙著のために制作していただいたダイジェスト版で、個展の模様を収めたクリップと、映像も自作によるオリジナル作品「現代科学の新たなる世界 電子変調されたペリー・コモの「私の好きな歌」」をフルサイズで収録。ちなみに、ペリー・コモの楽曲を電子変調したこの曲をリリースするに当たり、ちゃんとペリー・コモのエージェントにも了解を取って使用料も払ったのだ(笑)。

NHKの新番組『ドクター・フー』とBBCラジオフォニック・ワークショップ


 今週月曜日(9月25日)から、NHKの衛星放送BS2で知る人ぞ知るイギリスのSFドラマ『ドクター・フー』が始まった。これは63年スタートの歴史ある長寿SFドラマで、現在まで26シリーズ、計700話が作られている。NHKで始まった新シリーズは、主人公ドクターが9代目。『日陰の二人』『アザーズ』などに出ている渋い脇役、クリストファー・エクルストンが務めている。相棒のローズのビリー・パイパーがいかにも英国風のハスっぱなブス可愛い感じで、全編コメディタッチで進行しながらも、タイムマシンものとしては『アウター・リミッツ』などの古典作品を彷彿させる、けっこうハードな作りなのだ。で、すでに4話が連続オンエアされ、来週から週一レギュラー放送となるのだが、これが期待を上回る面白さ! 『トワイライト・ゾーン』『アウター・リミッツ』と並ぶ古典の名作と言われながら、なぜ日本で紹介されてこなかったが謎である。英国の民放チャンネル4でオンエアされた『マックス・ヘッドルーム』など、英国製SFとして紹介されるドラマも過去にはあったが、おそらくSFなのにマックスのようなキャラクターが一切登場しない人間主体のドラマゆえ、子供ウケが難しそうという判断から敬遠されていたのかも知れないな。いずれにせよ、捻りのきいた脚本の展開がいかのも英国風なのだ。
 テレビ放送はおろか、ビデオも発売されたことがなかった『ドクター・フー』だが、サントラ収集家の間ではそれなりに知られていて、渋谷のサウンドトラック盤専門店すみやにも昔から『ドクター・フー』のコーナーがあった。電子音楽よろず収集家の私も、同番組のタイトルだけは別文脈からよく知っていた。実は『ドクター・フー』が日本での知名度がないためか、番組名を伏せて「BBC効果音集」という名義で、劇中で使用された素材から集めたSF編が1枚、ホラー編が2枚、過去にテイチクからレコード化されていたりする。その制作チームの名は、BBCラジオフォニック・ワークショップ。長らく私にとっても謎の存在だったが、25周年を記念したルポルタージュ本が英国で出版されたものを数年前に入手でき、ほぼ全貌を知ることができた。一昨年、日本でも翻訳された伝記『ポール・マッカートニーとアヴァンギャルド・ミュージック』でも、ビートルズが前衛音楽手法を取り入れたきっかけ的な存在として、かなりのボリュームを割いてBBCラジオフォニック・ワークショップが取り上げられている。実は、ジョージ・マーティンも同所で1枚、電子音楽の秀作的なシングルを制作しており、その音源や制作までのいきさつは、日本でも出た彼の4枚組のCD BOX『ジョージ・マーティン・ボックス・セット』でも紹介されていた。
 BBCラジオフォニック・ワークショップができたのは58年。40年代末にフランスのパリ放送局で新時代の芸術としてミュージック・コンクレートが生まれ、続いて50年代初頭にドイツのケルンにある北西ドイツ放送局から電子音楽の歴史がスタートする。続いて、世界で二番目の電子音楽スタジオとなったのが日本のNHK電子音楽スタジオで、同56年にはイタリアのミラノ放送局でもルチアーノ・ベリオらが第一歩を記した。同所は、いわばそれに次ぐ歴史を持つ機関なのだ。まだ珍しかったテープ・レコーダーを必要とする芸術だったため、いずれも放送局内に設備が作られ、使用済みの発振器やジャンク・パーツなどが使われた(コロムビアプリンストン電子音楽センターで有名なアメリカ、ユトレヒト大学が中心のオランダなどは、大学施設内で歴史が育まれた)。拙著『電子音楽 in JAPAN』の海外の章で、これらの生起について触れているので興味のある方はぜひ一読を。
 で、BBCラジオフォニック・ワークショップが唯一特殊なのは、他国のほとんどが現代音楽の一ジャンルとして、電子音楽の歴史をスタートさせた(あの「ピーピー、ガーガー」でおなじみのシリアスな音楽)のに対し、同所は最初からポピュラー音楽のために設立された背景があるのだ。以前、ライブラリー音楽について書いたエントリでも触れたが、イギリスでは演奏家ユニオンの権限が強いために、一定の生演奏枠を確保するために、ラジオ、テレビで既成のレコードの使用を半分以下に抑える法律があった。日本では流行の洋楽曲などがよく使われているテストパターン放送(今の若い人は知らないかな?「歌う天気予報」みたいな、早朝や深夜のつなぎの調整用のイメージ番組)でも、イギリスのBBCではわざわざ録り下ろしの曲が使われていた。これらは近年になって『BBCテストカード・ミュージック』というタイトルでCDにもなっている(電子音楽の大家、エリック・シデイなどが曲を提供しており、まあライブラリー・レコードと同義ってところかな)。そういった背景があり、BBCラジオフォニック・ワークショップは、BBCの4局や海外支局から依頼を受けてオリジナルなジングルやBGMを制作する機関という、明確な商業利用を目的として誕生したものなのだ。
 作曲家、技術者を集め、ロンドンのメイダ・ヴィルのBBC音楽スタジオ内に58年に誕生。設立時のメンバーは、ディック・ミルズ、ジョン・ベイカー、デヴィッド・ケインなどいずれもジャズ編曲家である。ミルズは英国文化ファンには知られている、スパイク・ミリガンやピーター・セラーズを輩出したラジオ・コメディ番組『The Goon Show』の音楽を手掛けていた人物。ここに、元はBBC音楽スタジオのマネジャーとして入局した女性作曲家、デリア・ダービシャーらが加わって、まったくの無手勝流で歴史をスタートさせた。装置は、わずかな発振器、ノイズを発する電気部品、廃品などの素材だけで、これをフィルターで変調させたりテープ編集によって音楽化するというスタイル。63年にここが制作した、ロン・ゲイナーの譜面を電子音でリアライズした『ドクター・フー』のテーマが大ヒットを記録し、BBCに巨大な利益をもたらした。これを手掛けたのがデリア・ダービシャーである。元々はケンブリッジ大学で学ぶ数学者だったが、音楽の教養も高く、ルチアーノ・ベリオの英国講演のアシスタントを務めたこともある才媛。『ドクター・フー』のヒットで同所は注目される存在となり、ポール・マッカートニーや生前のブライアン・ジョーンズローリング・ストーンズ)が見学に来たこともあるらしい。その中にいたのが、ビートルズの制作者だったジョージ・マーティン。同所がEMIのアビー・ロード・スタジオと近所だったこともあって交流を深め、マーティンの初めてのシングル「タイム・ビート」がここで制作されている。名義は“レイ・カソード”という変名で、その正体は彼と同スタジオの女性作曲家、マドレーナ・ファガンディーニビートルズ以前に、ピーター・セラーズのコメディ・レコードを制作していたマーティンにとって効果音編集はお家芸。ここで得た技術を用いて、この時期にいくつかのユーモラスなコンクレート風のレコードを制作している。
 実はこうしたBBCラジオフォニック・ワークショップの歴史は、『ドクター・フー』同様、長らく日本で紹介されることがなかった。が、イギリスではキッズから若者までを巻き込む大衆支持を得ていたのだ。ビートルズアイ・アム・ザ・ウォルラス」「レボリューションNo.9」のコラージュや、ピンク・フロイドマネー」で使われたレジスターのサンプル音などのコンクレート風の前衛手法について、発表当時はドイツのシュトックハウゼンジョン・ケージからの影響が憶測されていたが、むしろ幼少期からテレビ、ラジオを通して子守歌として聴いて育った、BBCラジオフォニック・ワークショップの電子サウンドの影響とみるほうが正しいだろう。サイケ、プログレ・ファンの間で人気のグループ、ホワイト・ノイズの首謀者デヴィッド・ヴォーハウスもここのパートタイム・スタッフで、『ドクター・フー』にも参加。名作『An Electric Storm』以外にも、ホワイト・ハウス名義で 5枚、個人名義でライブラリー用として10枚近くのレコードを発表している(詳しくは拙著『電子音楽 in the (lost)world』参照)。処女作『An Electric Storm』以外はわりと凡庸なシンセ・ニューエイジなのだが、実は第1作でペリー&キングスレイ(ディズニーランドの「エレクトリカル・パレード」の音楽で有名な制作チーム)のカットアップなど、ギミックを駆使したトラックを制作していたのはヴォーハウスではなく、匿名で参加している同スタジオのデリア嬢なのだ。
 BBCラジオフォニック・ワークショップはその後、70年に誕生したイギリス初のシンセ・メーカーEMSの大型装置シンティ100(通称デラウエア)が導入され、アープ・オデッセイなどのシンセ類を中心に、ライヴ録音が可能に。そこから、70年にテープ編集マンとして入局したパディ・キングスランドなどが育ち、シンセ・レコード制作者として著名な才能が巣立っていく。だが、BBCが経営の立て直しのために会計士を会長に招いた際に、音楽部門の縮小化を通達。73年にベイカー、デリアらが離脱して、彼らはその後、ライブラリー盤のクリエイターとしてキャリアを再スタートさせることとなった。イギリス産の企画もののシンセ・レコードの大半が、実は同所で薫陶を受けたクリエイターによるものだったりするのだ。だが、ごく普通のスタジオと変わらない存在となったBBCラジオフォニック・ワークショップは、その役目を終え、97年に歴史の幕を閉じている。
 同スタジオはずっと謎の存在だったものの、それでもシンセ・レコード収集家の間で有名な、いくつかの作品集をリリースしている。初の作品集『The BBC Radiophonic Workshop』は、10周年記念として68年に発表。ベイカー「Christmas Commercial」はレジスターの音がリズムを刻む素晴らしくポップなジャズ曲で、あきらかにピンク・フロイド「マネー」のヒントはここにある。デリア「Door To Door」は、ホラー風だったアンリ「Variation For A Door And A Sign」同様のドアの軋みの音を使って、絶妙なポップ曲に。時報のピッピッの音が途中でメロディで奏で出す「Time To Go 」など、デリアの曲はアニメ的描写力に優れたものが多く感心する。いずれも、アメリカのペリー&キングスレイ、フランスのロジェ・ロジェのような楽しい電子音楽ばかりなのだ。しかも、BBCラジオフォニック・ワークショップ最大の特徴は、女性作家が多いことだろう。50〜60年代、象牙の塔と呼ばれた時代の各国の電子音楽スタジオは、気難しい現代音楽家によって占拠されており、冨田勲宇野誠一郎といったポピュラー音楽家に排他的だったという証言もある。ほとんど各国とも、女人禁制といった雰囲気だったらしい。『ドクター・フー』のテーマ曲を作ったデリア、前出「タイム・ビート」のマドレーナなど、同所の出世作はいずれも女性作家によるもの。デリアは写真で見ればわかるようにルックスもけっこう美人で、後のアート・オブ・ノイズのアン・ダドリーの存在と重ね合わせることもできるだろう。世界で活躍する数少ない女性シンセスト、ルース・ホワイト、スザンヌ・チアニらの作品にも秀作が多く、冨田勲に通ずる印象派風の伝統は、むしろ女性作家に受け継がれている印象がある。実は、ウォルターからウェンディに性転換したカーロスだけでなく、名前は出せないが電子音楽作曲家には少なからず同性愛者がおり、そうした“女性的な感性”が歴史を作ってきたとも言える部分があるのだ。
 実はNHKで『ドクター・フー』が始まるのとタイミングよく、BBC-4で放送された『The Alchemist Of Sound』なる、BBCラジオフォニック・ワークショップのドキュメンタリー番組がある。昨年、ロバート・モーグの伝記映画が公開されたが、当時の映像素材が少ないために、フィーチャーされるのはあまり価値のないテクノ以降のミュージシャンの話ばかり。名作『テルミン』などに比べて、お世辞にも面白い映画ではなかった。BBCラジオフォニック・ワークショップは60年代末のサイケデリック・エラのころ、時代の花形らしく広報番組用に数多くのフィルムを残しており、中にはデリアやベイカーがアナウンサーを相手に、音作りをレクチャーする映像まである。このドキュメンタリーは全編にわたって珍しい映像を配したもの。私は英国の友人の協力で見せてもらうことができたが、日本では知名度のなさが理由でおそらく放送されることがないと思うので、ここで画面写真などを使って番組の内容をざっと紹介してみたいと思う。



同スタジオのお歴々が語る貴重な証言。ロジャー・リブ、マーク・エアーズ、ブライアン・ホジソン、デスモンド・ブリスコウ、ディック・ミルズ、マドレーナ・ファガンディーニ、マルコム・クラークなど。コメントにスクラッチやテープ変調が入るお遊びも。


オリジナルのモノクロ時代の『ドクター・フー』始め、日本では放送されていない歴代のBBCドラマのオープニングもまとめて紹介している。ジョン・ベーカーが音楽を付けた『Factor』は黎明期のコンピュータ・グラフィックス映像。子供番組『Bleep & Booster』は英国版『宇宙人ピピ』といったところか。パディ・キングスランドの音楽による『The Hitch Hikers Guide To The Galaxy』は後期のヒット作で、日本でも輸入盤で早くからBGM集が入手できた。


スタジオ装置の風景。初期は数台のテープ・レコーダーと、発振器、ノイズ・ジェネレーター、スクラップ、パーカッションなどで制作されていた。まだマルチトラック・レコーダーがない時代に、どうやってシーケンス・リズムを同期させていたのかが謎だったが、なんとデリア・ダービシャーがテープ操作の名人で、複数台のテープ・レコーダーを再生しながら、DJみたいにテンポ合わせしてシンクロさせていくのである。天晴れ!

初期スタジオの最大の功労者だったデリア・ダービシャー、ジョン・ベイカーはすでに鬼籍に入っており、当時の貴重なインタビュー映像でカヴァーしている。ここで使われているベイカーの数曲は、これまで発表されたコンピレーション盤のいずれでも紹介されてないもので、ビバップ風のジャズとメロディアスな電子音を組み合わせたヒップでグルーヴィなもの。どれもカッコよくて失神しそう!

「The Enigma Of Ray Cathode」という章では、知る人ぞ知るジョージ・マーティンが同所で制作したシングルの制作秘話を公開。クールなメガネのマドレーナ・ファガンディーニも、楽しそうに思い出話を語る。サイケデリック・エラのビートルズ信者でもある小生にも、美味しい話がいっぱい聞ける。

70年にイギリス初のシンセ・メーカーEMSが誕生。ピンク・フロイドが『狂気』で使っているのもこれで、自国産のシンセ・ブランドの登場から、イギリスの電子音楽の歴史は急速に発展していく。同年スタジオに導入されたのが、EMSのシンティ100やレギュラーのEMS、AKS、アープ・オデッセイなど。シンセ時代に活躍するパディ・キングスランドは、離脱後も数多くの企画者のシンセサイザー・レコードを出している著名な存在。最晩年には、オーストラリア製の世界初のサンプラー、フェアライトCMIが導入されるが、よって80年代初頭のBBCのジングルは、ほぼ全編がフェアライトに傾倒して、まるですべてがトリッキーなアート・オブ・ノイズみたいな曲になる。かなりオモロイ。

BBCの映像アーカイヴは凄まじく貴重なものばかり。他国の作家の映像も残しており、アメリカ製のドキュメンタリーでは見ることができないアメリカの作家の映像も多い。ここでも、RCAミュージック・シンセサイザーを操作するミルトン・バビット、モーグIIIとガーション・キングスレイ、性転換前の珍しいウォルター・カーロスの動く映像などが登場する。

拙著『電子音楽 in the (lost)world』でも紹介している、BBCラジオフォニック・ワークショップのレコードから一部抜粋。『ドクター・フー』は26シリーズにも及ぶため、メロディをその時代の最新の意匠でアレンジした様々なヴァージョンが制作されている(25周年記念盤でまとめて聴ける)。初期の作品集はCD化されており、amazonでも購入できるのでぜひ一聴をお薦めする。デリア、ベイカーのメロディアスな電子音は、シンプルながら冨田勲的な絵心を感じるポップな作品ばかり。もっとも最近になってリリースされたのが未発表曲集の『The Tomorrow People』で、デリアやデヴィッド・ヴォーハウスも参加するBBCの初期番組のサウンドトラック。実はこれ、イギリスの大手ライブラリー会社「スタンダード」から出ていた音源集と同じ内容で、どうやら同番組がソースだった模様。デリアはヴォーハウスらと違い、BBC離脱後は本名を表向きには出しておらず、ライブラリー盤ではルッセという名前を使っていた。

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ブルーノ・スポエリ『Gl?ckskugel』(Finders Keepers)
Bruno Spoerri/Gl?ckskugel

拙著『電子音楽 in the (lost)world』で、『Iischalte』(副題「スイッチト・オン・スイス」)を紹介しているスイスの著名な電子音楽作家。以前からコレクター筋で注目されていた存在で、リリースされた盤がほとんど私家版ゆえに謎に包まれていたものの、初の作品集がCDリリースされてプロフィールが公開された。元は50年代から活動するジャズ・ミュージシャンだが、ライナーノーツによると、テレビ番組のジングル、PRキャンペーン曲など、スイスの放送音楽のために生涯を捧げてきた存在らしい。本作は全曲が初リリースで、電子音楽とジャズの無手勝流な実験が、極めてポップに展開される貴重な作品集。シンティ100(EMS)、アープ・オデッセイと、レボックスの小型レコーダーによるテープ編集で作られたチープな出来だが(モノーラル音源もある)、ベースにあるジャズのイディオムとの融合が化学変化を生み出している。エンソニックのミラージュでシコシコとシンフォニーを書いている、ロシアのエドゥワルド・アルテミエフのような独自の進化を遂げた、芸術でもなくポピュラーでもない孤高の電子音楽。表題曲はスイスのテレビ用に作られた、シンフォニーが素晴らしいファンファーレ曲。後半部は、トラム・ウォルター・ケイザーがドラムで参加している、ジャーマン・ロック風に。「Drillin'」は美術展のために作られた背景音楽で、工事現場のドイル・ノイズがリズムを刻む、テープ編集によるスパイク・ジョーンズ的世界。元タンジェリン・ドリームのイルミン・シュミットとのデュオ『Toy Planet』もCDで出ているので、ぜひお試しあれ。



ブルーノ・スポエリ「Les ?lectroniciens」(Lansing Baunall)
Bruno Spoerri/Les ?lectroniciens
観たことのない規格外のジャケットサイズがスイスの独自性を語っているが、内容は片面のみの17cmシングル。CDにも収録されている曲で、ジャズとミュージック・コンクレートの融合をコンセプトに掲げた71年の習作。ラロ・シフリン風のスパイテーマの旋律を、自身のギター、ドラムの多重録音でアレンジし、EMS、アープ・オデッセイで肉付けしたチープなシンフォニーに仕上げている。リズムを刻むモーターの音に、未来派などのダダイズムの影響も。


ブルーノ・スポエリ「Rollin'」(Private Press)
Bruno Spoerri/Rollin'

彼の私家版ディスクのひとつで、CDに収録されていた「Drillin'」の連作的な曲。バセルで行われた美術展のために作られた、片面のみのシングル。こちらは、鉄道ノイズをリズミックに編集した、ピエール・シェフェールの「鉄道のエチュード」みたいな正調コンクレート風。チョッパー・ベースと口笛のメロディという主要編成も珍しいが、ブルージーなコード進行と相まって、唯一無二の魅力的な曲に昇華されているのが見事なり。電話交換手の女性コラージュで終幕する、物語的な構成が伺えるのだが、残念ながら資料はすべてスイス語のため判読不可能。



ブルーノ・スポエリ『Teddy B?r』(Milan)
Bruno Spoerri/Teddy B?r

数多くの映像音楽を書いているスポエリだが、正規のサントラがリリースされているのはおそらくこれのみ。チューリッヒのロルフ・リジィ監督による83年のスイス映画の劇伴なのだが、オスカー外国語映画賞を取っている国際的に知られた作品らしい。ジャケットでわかるようにグルーチョ・マルクスを題材にとった、監督本人が出演するセミドキュメンタリーのようで、内容もグルーチョアカデミー賞のスピーチなどを音楽にコラージュした面白音響になっている。基本は楽団演奏によるフュージョンで、スポエリはリリコン、プロフィット10、イミュレーターなどをオーバーダブ。「The Silliest Tune」「Baby Baby」といったロボット・ポップもあれば、「Arrest Of Groucho」では、エコー処理が独特な初期ピンク・フロイドみたいなドラッギーなジャム曲もあり。



ダフィネ・オラム「Electronic Sound Patterns」(EMI)
Daphine Oram/Electronic Sound Patterns

作曲家のデスモンド・ブリスコウらとBBCラジオフォニック・ワークショップ設立に尽力した、イギリスの黎明期の女性電子音楽作家。元々は女学校の音楽教師だったが、黎明期の電子音楽制作に触れて、BBCスタジオで実験音楽制作を開始。その時期には、サミュエル・ベケットの朗読などに特殊な音楽を付けたシュールな作品があるらしい。ヴァレーズの「ポエム・エレクトロニク」で有名なブリュッセル万博にも作品を出品。BBCラジオフォニック・ワークショップではデリア・ダービシャーの先輩格にあたるが、早くから独立し、ケントに自身のスタジオ「Oast House」を設けて創作活動を開始している。本作は子供向けの音楽シリーズ「Listen, Move and Dance」の第3集として出された、楽しい電子音楽。初期のジェネレータ、フィルター、録音機を使って創作した、音のパルスが自在に動く「耳で楽しむアニメーション」。



ジョン・イートン・アンド・ヒズ・シンケット「Bone Dry/Blues Machine」(Decca)
John Eaton And His Syn-Ket/Bone Dry/Blues Machine

電子音楽 in the (lost)world』でも紹介している『Microtonal Fantasy』のような前衛作品で知られるイートンだが、これは珍しい非売品のポップ・シングル。理論家のミルトン・バビッドに師事し、電子音楽以前のジャズ作品もかなりフリージャズ風のシリアスな作風なのだが、ここではイタリアの電子楽器「シンケット」のシーケンサーとドラムを同期させて、ファニーなアニメ音楽風のジャズを展開している。「シンケット」は発明家のポール・ケトフが生み出した、ポータブルな電子音楽装置をコンセプトにしたシンセサイザーのルーツ。ケトフはイタリアの映画監督マリオ・バーヴァ作品の音響監督なども手掛けている存在ゆえに、ちょっとジャーロ映画のようなストレンジな響きを持っている。カップリング曲は、シンセのベースラインとドラムに、ピッチの狂ったソロが入るドアーズ風のアヴァンギャルド曲。



ディック・ハイマン・オン・ザ・モーグシンセサイザー「Strobo/Lay,Lady,Lay」(Command)
Dick Hyman On The Moog Synthesizer/Strobo/Lay,Lady,Lay

ウディ・アレン映画の音楽で著名なジャズ作曲家だが、70年に発売されたミニ・モーグデモンストレーターを務めたことでも知られており、『21世紀の旅路』なる電子音楽アルバムも出している。2枚のモーグ盤はいずれもメロディーのないシリアスな作品で、「サボイでストンプ」などを取り上げたロウリー・オルガン時代のアルバムとは対称的。だが、未知の音響が話題になって、シングル化された「ミノトール(21世紀の旅路)」は全米のラジオでパワープレイされたとか。CD化の際に数曲未発表曲が収められていたものの、本作はそれ以前に作られていた未発表の習作らしく、なんとボブ・ディラン「レイ・レディ・レイ」をカヴァーしている。A面はコンプで圧縮したリズム・ボックスに、ブルージーなシンセソロが入るスライ・ストーン風のファンク。カップリングはメカニカルなリズムにミニ・モーグのファニーなメロが入る。いずれもアルバムとは対称的なポップ展開で、なぜこの路線がアルバムに取り入れられなかったのか謎が深まる。



タイニー・ティム『Zoot Zoot Zoot Here Joe Adams Comes Santa In His New Space Suit』(RA・JO)
Tiny Tim/Zoot Zoot Zoot Here Joe Adams Comes Santa In His New Space Suit

タイニー・ティムの神のご加護を』なるアルバムもある、ウクレレでスタンダードを歌う奇人タレント。ビートルズのクリスマス・アルバムに登場するなど、当時は話題の芸人だった。本作はなんと、彼が生前の81年に録音していた子供向けのクリスマス・キャロル集で、音楽監督はディメンション5のブルース・ハーク。自作のようなホームレコーディングではなく、プロデューサーのアダムス兄弟の指揮の下、ニューヨークのスタジオで録音されたもので、テープ・ループにシンセ・ダビングと子供のコーラスを重ねた豪華なサウンドになっている。ティムが歌唱する表題作以外は、ほぼハークのソロといってもいい内容で、ブルース・ハーク・アンド・ザ・ロボット・マン名義と、ソロ名義でそれぞれ3曲づつ収録。81年制作ということは『Bite』のころで、シークエンスのシステムもヴァージョンアップしており、本人がヴォコーダーで歌う「I Like Christmas」などはほとんどテレックスに迫る完成度。コードワークもハークの過去作と違い、テンション・コードが多用されたジャズのイディオムをふんだんに取り入れたもの。



『音の万国博ガイド』(朝日ソノラマ
「レコード 開かれた万国博」(朝日ソノラマ

拙著『電子音楽 in the (lost)world』のCDにも収録している、電子音楽の見本市の様相だった70年の大阪万博のドキュメンタリー・レコード2種。実は大阪万博の音が聞けるメディアはほとんどなく、拙著で紹介しているソノシート付き雑誌『朝日ソノラマNo.124』ぐらいと言われていたが、いろいろ関係筋に調査をした結果、同ソースを流用したものとしてこの2つが発見された。後者は『小学六年生』(小学館)70年7月号の付録(制作は朝日ソノラマ)で、『朝日ソノラマ』よりも開会式の電子音楽パートが長く、一柳慧黛敏郎らが曲を持ち寄ったといわれているお祭り広場のニューエイジ風の電子音楽も入っている。前者は万博開催期に出た『朝日ソノラマ』別冊の万博特集号。カラー写真集とステレオの2枚の「LPソノシート」で構成されている。ジェネオンから出た東宝映画『日本万国博』のフッテージを4枚のDVDに収めた『日本万国博DVD BOX』は、映画本編で一切使われていなかった会場音楽を収めた貴重な資料なのだが、音はモノーラルだったため、本作は唯一のステレオ録音記録になる。収録されたものの中で電子音楽関連を挙げておくと、富士グループの黛敏郎(『電子音楽 in the (lost)world』で元素材のEPを紹介)、四季の音を素材にしたミュージック・コンクレートのサンヨー館の音楽、間宮芳生サントリー館、黛のみどり館、伊福部の三菱未来館(これも拙著でEPを紹介)、鉄鋼館の武満徹クロッシング」などをハイライトに構成している。



あいたかし「素晴らしい明日を」(キングレコード

電子音楽 in JAPAN』で紹介している、冨田勲が輸入したモーグIIIが初めてポピュラー曲で使用されたシングル。ポール・コルバの外国楽曲を、『必殺仕置人』の音楽で有名な竜崎孝路がアレンジした2チャンネルのリズムに、冨田の義弟が経営していたインターパックにテープを持ち込んでモーグシンセサイザーの音をオーバーダブしたもの。制作はハルヲフォンのディレクターとして知られる井口良佐。カレッジ・フォーク的なメロディーを電子的にモディファイしたもので、例えればフィフティ・フット・ホースの日本版といったところ? コーラスも含め独特の位相処理が施されており、4chの専用装置で聞くと音が飛び出す、珍しい4チャンネル・レコードとしてカッティングされている。ちなみに、シンセサイザープログラマーは冨田スタジオ時代の松武秀樹。これに味を占めた竜崎は、テイチクにモーグ・カヴァー企画を持ち込んで、後に松武を迎えた『モーグサウンド・ナウ/虹をわたって』をインターパックで制作している。